土井一郎
土井 一郎(どい いちろう、1952年3月27日 - )は、日本の作曲家、ジャズ・ピアニスト。2018年11月5日すい臓がんのため死去。
来歴
[編集]大阪府出身。大阪府立高津高等学校卒業、大阪教育大学特音中退。音楽教師だった父親の影響を受け、音楽に興味を持ち始めた。高校卒業後のわずかな期間、大阪でプロとしての演奏活動をしていたが、より自由な活動を求めて単身上京。1974年に松本英彦クァルテットに参加して、プロのジャズピアニストとして本格的な活動を始めた。1975年には山口真文クァルテットに加わり、ジャズコンボにおけるピアニストの役割の基礎を学んだ。翌年には新宿ジャズ大賞を受賞。1979年には渡米し、数々のセッションに参加。帰国後には、鈴木勲グループ、ジョージ大塚グループに加わり、日本での活動を再開。サイドメンとして約8年間活動し、レイ・ブラウン、ラリー・コリエル、アラン・ドーソン、ハンク・ジョーンズらとも、共演を果たした。1990年代は、自己のグループ「ミリオンパラ」やピアノソロのレコーディング中心に活動、2000年以降は作曲活動に重点を置いている。2008年から2年あまりの創作期間を経て2011年「24のプレリュードとフーガ」を完成させ、出版と同時に自らの演奏で録音も敢行した[1]。現在はトリオを中心として演奏活動を継続中である。2018年11月5日すい臓がんのため死去。
音楽性
[編集]ビル・エヴァンス、ウイントン・ケリーの影響によるメインストリームのモダンジャズが基本スタイルではあるが、ジョー・ザヴィヌルの音楽アプローチにも興味を示し、1980年頃から約25年間、シンセサイザーを使用したフュージョンサウンドも並行して、演奏してきた。その他、長年ピアノソロの研究を行っており、異質とも思える多様な音楽を同時に身に付け、自己の音楽に昇華するのが、土井一郎の音楽性とも言える。
ディスコグラフィ
[編集]- 主なリーダーアルバム
- 日本クラウン
- Sometime Later (1990)
- Tao (1991)
- Just Me (1993)
- Just Me Again (1994)
- Bitter Sweet (1997)
- Another Paradise (2002)
- スタジオソングス
- 24 Preludes and Fugues (2011)
- Hauntingly (2013)
- Bounce Back (2016)
- 主な参加アルバム
- Let Me Love You (1976)
- Leeward (1978)
- Mongolian Chant (1980)
- Bamboo Dance (1980)
- Samba Club (1980)
- Three Cushions (1981)
- Face To Space (1984)
- Hot Fruits (1985)
- Elsa (1985)
脚注
[編集]出典
[編集]外部リンク
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