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土岐康貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土岐 康貞
時代 鎌倉時代後期 - 室町時代
生誕 正中2年(1325年)?
死没 観応3年/正平7年(1352年)
別名 悪五郎、康定
主君 足利尊氏義詮義満
氏族 土岐氏
父母 父:土岐頼清(頼宗)
兄弟 頼康明智頼兼頼雄(揖斐)、康貞直氏頼忠
久々利康頼(行春・利春)、宇田康任土岐行之羽崎光直
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土岐 康貞(とき やすさだ)は、鎌倉時代後期から室町時代守護大名久々利氏の祖[1]。兄に土岐頼康がいる[2]

生涯

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南北朝時代久々利城を築城した[3]観応3年/正平7年(1352年)3月、荒坂山にて和田正武に討ち取られた[2]

画像集

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脚注

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  1. ^ 久々利城跡”. 可児市. 2020年11月20日閲覧。
  2. ^ a b 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “土岐康貞とは”. コトバンク. 2020年10月31日閲覧。
  3. ^ “久々利城跡 ジオラマで再現、パロマが寄贈 戦国山城ミュージアムに展示 可児 /岐阜”. 毎日新聞. (2018年8月1日). https://mainichi.jp/articles/20180801/ddl/k21/040/035000c 2020年11月20日閲覧。