土岐鉾治
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土岐 鉾治 | |
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生誕 |
1894年8月12日 日本 長野県 |
死没 | 1993年3月30日(98歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | ダイハツ工業教育部長 |
墓所 | 多磨霊園 |
土岐 鉾治(とき ほこじ、1897年〈明治30年〉4月8日[1][2] - 1993年〈平成5年〉3月30日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。姓ははじめ上島[1][4]。
経歴
[編集]上島善重の三男として長野県に生まれ、土岐房枝の養子となる[2]。1918年(大正7年)陸軍士官学校第30期卒業、陸軍砲兵少尉に任官[1][4]。
1939年(昭和14年)8月に陸軍砲兵大佐・陸軍造兵廠小倉工廠検査課長。同年12月に陸軍造兵廠小倉工廠砲具製造所長。1940年(昭和15年)4月に小倉陸軍造兵廠第1製造所長。1942年(昭和17年)9月に相模陸軍造兵廠作業課長兼技術課長を経て、1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将に昇進[1][5]。翌年の1945年(昭和20年)4月16日に第4陸軍技術研究所長兼相模陸軍造兵廠長に任ぜられ、終戦を迎えた[1]。
終戦後は、富士自動車生産本部長、相模工業参与、ダイハツ工業工作部長池田工場長、同教育部長などを歴任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『偕行 平成5年6月号』偕行社、1993年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年 。