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土岐鉾治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土岐 鉾治
生誕 1894年8月12日
日本の旗 日本 長野県
死没 (1993-03-30) 1993年3月30日(98歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1918年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
除隊後 ダイハツ工業教育部長
墓所 多磨霊園
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土岐 鉾治(とき ほこじ、1897年明治30年〉4月8日[1][2] - 1993年平成5年〉3月30日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。姓ははじめ上島[1][4]

経歴

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上島善重の三男として長野県に生まれ、土岐房枝の養子となる[2]1918年(大正7年)陸軍士官学校第30期卒業、陸軍砲兵少尉に任官[1][4]

1939年(昭和14年)8月に陸軍砲兵大佐陸軍造兵廠小倉工廠検査課長。同年12月に陸軍造兵廠小倉工廠砲具製造所長。1940年(昭和15年)4月に小倉陸軍造兵廠第1製造所長。1942年(昭和17年)9月に相模陸軍造兵廠作業課長兼技術課長を経て、1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将に昇進[1][5]。翌年の1945年(昭和20年)4月16日第4陸軍技術研究所長兼相模陸軍造兵廠長に任ぜられ、終戦を迎えた[1]

終戦後は、富士自動車生産本部長、相模工業参与、ダイハツ工業工作部長池田工場長、同教育部長などを歴任した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』493頁。
  2. ^ a b c 人事興信所 1969, と26頁.
  3. ^ 『偕行 平成5年6月号』76頁。
  4. ^ a b 『官報』第1920号、大正7年12月26日。
  5. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』422頁。

参考文献

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