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土方雄永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土方 雄永
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 嘉永4年3月21日1851年4月22日
死没 明治27年(1884年5月10日
改名 智千代(幼名)、雄永
別名 聟千代、大和守[1]
墓所 東京都台東区谷中墓地
官位 従五位下、大和
幕府 江戸幕府
伊勢国菰野藩
氏族 土方氏
父母 父:土方雄嘉
正室:竹屋光有の娘・益(明治19年離縁[2]
石黒雄則(長男)
養子:雄志
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土方 雄永(ひじかた かつなが)は、伊勢菰野藩の第12代藩主。

嘉永4年(1851年)3月21日、第11代藩主・雄嘉の長男として生まれる。安政5年(1858年)10月19日、父の死去により、家督を継いだ。しかし、父同様に病弱の上、幼少であったため、大叔父の土方義行が引き続いて補佐した。幕末期、はじめ菰野藩は佐幕派、尊王派で分裂して争った。慶応4年(1868年)2月27日、上洛し、新政府の支持姿勢を明らかにした。その後、戊辰戦争では新政府の東征軍に協力している。

明治2年(1869年)6月23日の版籍奉還藩知事となる。しかし病気のため、明治3年(1870年)9月17日、家督を養子の雄志に譲って隠居した。明治4年(1871年)10月15日、東京へ移る。

明治27年(1884年)5月10日に死去した。享年34。

系譜

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父母


正室

子女

養子

脚注

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  1. ^ 『徳川300藩最後の藩主人物事典』新人物往来社〈別冊歴史読本 40〉、1996年。
  2. ^ 土方雄武『現代華族譜要』維新史料編纂会 編 (日本史籍協会, 1929)