土方雄永
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永4年3月21日(1851年4月22日) |
死没 | 明治27年(1884年)5月10日 |
改名 | 智千代(幼名)、雄永 |
別名 | 聟千代、大和守[1] |
墓所 | 東京都台東区の谷中墓地 |
官位 | 従五位下、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国菰野藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 | 父:土方雄嘉 |
妻 | 正室:竹屋光有の娘・益(明治19年離縁[2]) |
子 |
石黒雄則(長男) 養子:雄志 |
土方 雄永(ひじかた かつなが)は、伊勢菰野藩の第12代藩主。
嘉永4年(1851年)3月21日、第11代藩主・雄嘉の長男として生まれる。安政5年(1858年)10月19日、父の死去により、家督を継いだ。しかし、父同様に病弱の上、幼少であったため、大叔父の土方義行が引き続いて補佐した。幕末期、はじめ菰野藩は佐幕派、尊王派で分裂して争った。慶応4年(1868年)2月27日、上洛し、新政府の支持姿勢を明らかにした。その後、戊辰戦争では新政府の東征軍に協力している。
明治2年(1869年)6月23日の版籍奉還で藩知事となる。しかし病気のため、明治3年(1870年)9月17日、家督を養子の雄志に譲って隠居した。明治4年(1871年)10月15日、東京へ移る。
明治27年(1884年)5月10日に死去した。享年34。
系譜
[編集]父母
- 土方雄嘉(父)
正室
- 益 ー 竹屋光有の娘
子女
- 石黒雄則(長男)
養子