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土肥春曙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
どい しゅんしょ
土肥 春曙
本名 土肥 庸元(どい つねもと)
出身地 日本の旗 日本肥後国
死没地 日本の旗 日本東京府
職業 俳優劇作家
ジャンル 新派
所属劇団 川上音二郎一座
主な作品
ハムレット
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土肥 春曙(どい しゅんしょ、1869年11月9日明治2年10月6日)- 1915年大正4年)3月2日)は、日本新派俳優劇作家である[1][2]。春曙は芸名で、本名は庸元[1][2]

経歴・人物

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書家であった土肥直康(樵石) とその妻のカジュの長男として[2]肥後に生まれる[1][2]。東京専門学校(現在の早稲田大学)文科一期生として入学後、坪内逍遥に師事した[1][2]。卒業後は読売新聞に勤務し[3]ジャーナリストとしての活動を経て、1901年(明治34年)には川上音二郎が座長を務める一座の座員となり[1][2]、ヨーロッパ巡業に参加し、通訳等を務め俳優への道を志した。

帰国後は、大学時代の師匠である逍遥に再度師事し朗読会である「易風会」を創設に携わり、1906年(明治40年)には逍遥らが創設した文芸協会の設立時の俳優として[4]、多くの作品に出演し主役を務め[4]、端正な容貌[4]や近代的な演技[5]として名を馳せた。また俳優としての活動以外にも、同協会に属する協会員の後進の演劇指導にも携わった[3]。会解散後の1913年大正4年)には[6]東儀鉄笛らと共に「無名会」の創設し演劇の近代化に貢献した[6]。しかし同年病気に患い引退し[2][6]、翌1914年に逝去した。

主な出演作品

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主な著作物

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演じた俳優

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脚注

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  1. ^ a b c d e 土肥春曙”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 土肥春曙”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。
  3. ^ a b 土肥春曙”. 世界大百科事典 第2版(平凡社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c 土肥春曙”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。
  5. ^ 土井春曙”. 日本大百科全書(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。
  6. ^ a b c 土肥 春曙”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。

外部リンク

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