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在子女王(ありこじょおう、1756年(宝暦6年) - 1770年9月1日(明和7年7月12日))は、江戸時代中期の女性。一橋徳川家2代当主・徳川治済の御簾中。幼称は寿賀宮。院号は桂芳院。
京極宮公仁親王の第一王女として生まれる。母は閑院宮直仁親王の娘・室子女王[1]。1767年(明和4年12月4日)、一橋徳川家2代当主の徳川治済の正室となった[2]。
1770年9月1日(明和7年7月12日)、死去[3]。
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