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地頭山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地頭山古墳
国道246号からみた船子洞門。真上にある樹林が地頭山古墳である。
別名 船子地頭山古墳
所在地 神奈川県厚木市船子1180-3
位置 北緯35度25分40.9秒 東経139度21分8.6秒 / 北緯35.428028度 東経139.352389度 / 35.428028; 139.352389座標: 北緯35度25分40.9秒 東経139度21分8.6秒 / 北緯35.428028度 東経139.352389度 / 35.428028; 139.352389
形状 前方後円墳
規模 全長72メートル、後円部径36メートル、後円部高7メートル、前方部幅24メートル、前方部高4メートル
埋葬施設 未調査により不明
出土品 なし
築造時期 5世紀前半か
被葬者 不明
史跡 なし
有形文化財 なし
地図
地頭山古墳の位置(神奈川県内)
地頭山古墳
地頭山古墳
神奈川県内の位置
地図
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地頭山古墳(じとうやまこふん)は、神奈川県厚木市船子に所在する古墳古墳時代中期(5世紀)の相模地域では最大級に含まれる前方後円墳[1]、現状では墳丘直下に国道246号線のトンネル(覆道)が走るという特異な立地状況にある。

概要

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神奈川県中部~西部に位置する厚木市から伊勢原市にかけての地域は、古墳時代後期(6世紀-7世紀)の古墳(円墳など)や横穴墓は多く存在するが、前方後円墳の存在が長く知られていなかった[2]

1977年昭和52年)の国道246号線バイパス建設工事の際、伐採された丘の上に古墳のような塚があるのを、当時厚木市の文化財保護委員を務めていた男性が偶然発見し、市の教育委員会に通報した。市と神奈川県が踏査し、前方後円墳であることが判明した[2]

1978年(昭和53年)には、測量が行われ、全長約72メートル・後円部径約36メートル・同高約7メートル・前方部幅約24メートル・同高約4メートルの規模だとわかった。発掘調査が未実施のため、埋葬施設は不明で出土遺物もないが、5世紀前半から中頃に築造されたと推定されている[2]。墳丘規模は神奈川県内では3~4位に位置づけられる大きさである。

この他の厚木市内の前方後円墳としては、伊勢原市に跨がるが、愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)がある[1][3]

墳丘全景

船子洞門(地頭山洞門)

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国道246号線バイパスの下り車線のみを覆う洞門(覆道)で、上り車線との間の中央分離帯に脚が立っている。その上部には地頭山古墳の前方部が乗っており、バイパス工事の際、古墳を切り崩さずに現状で保存するために設計された[2]史跡指定などがされていない埋蔵文化財を、発掘調査による記録保存(調査後、遺跡自体は原則破壊される)によらず、現状保存することに成功した工事例となっている。

墳丘(前方部)

脚注

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  1. ^ a b 厚木市文化財保護課 (2016年1月17日). “古代”. 厚木市. 2020年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d 望月 2020, p. 1.
  3. ^ 望月 2020, pp. 1–2.

参考図書

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  • 望月, 幹夫「厚木にも前方後円墳があった!」『厚木市史たより 第22号』厚木市、2020年3月25日、1-4頁。 NCID AA12489118https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/shiminbenri/kosodatekyoiku/bunkazai/kankou/shishi/d020895.html 

関連項目

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外部リンク

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