地頭山古墳
地頭山古墳 | |
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国道246号からみた船子洞門。真上にある樹林が地頭山古墳である。 | |
別名 | 船子地頭山古墳 |
所在地 | 神奈川県厚木市船子1180-3 |
位置 | 北緯35度25分40.9秒 東経139度21分8.6秒 / 北緯35.428028度 東経139.352389度座標: 北緯35度25分40.9秒 東経139度21分8.6秒 / 北緯35.428028度 東経139.352389度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長72メートル、後円部径36メートル、後円部高7メートル、前方部幅24メートル、前方部高4メートル |
埋葬施設 | 未調査により不明 |
出土品 | なし |
築造時期 | 5世紀前半か |
被葬者 | 不明 |
史跡 | なし |
有形文化財 | なし |
地図 |
地頭山古墳(じとうやまこふん)は、神奈川県厚木市船子に所在する古墳。古墳時代中期(5世紀)の相模地域では最大級に含まれる前方後円墳で[1]、現状では墳丘直下に国道246号線のトンネル(覆道)が走るという特異な立地状況にある。
概要
[編集]神奈川県中部~西部に位置する厚木市から伊勢原市にかけての地域は、古墳時代後期(6世紀-7世紀)の古墳(円墳など)や横穴墓は多く存在するが、前方後円墳の存在が長く知られていなかった[2]。
1977年(昭和52年)の国道246号線バイパス建設工事の際、伐採された丘の上に古墳のような塚があるのを、当時厚木市の文化財保護委員を務めていた男性が偶然発見し、市の教育委員会に通報した。市と神奈川県が踏査し、前方後円墳であることが判明した[2]。
1978年(昭和53年)には、測量が行われ、全長約72メートル・後円部径約36メートル・同高約7メートル・前方部幅約24メートル・同高約4メートルの規模だとわかった。発掘調査が未実施のため、埋葬施設は不明で出土遺物もないが、5世紀前半から中頃に築造されたと推定されている[2]。墳丘規模は神奈川県内では3~4位に位置づけられる大きさである。
この他の厚木市内の前方後円墳としては、伊勢原市に跨がるが、愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)がある[1][3]。
船子洞門(地頭山洞門)
[編集]国道246号線バイパスの下り車線のみを覆う洞門(覆道)で、上り車線との間の中央分離帯に脚が立っている。その上部には地頭山古墳の前方部が乗っており、バイパス工事の際、古墳を切り崩さずに現状で保存するために設計された[2]。史跡指定などがされていない埋蔵文化財を、発掘調査による記録保存(調査後、遺跡自体は原則破壊される)によらず、現状保存することに成功した工事例となっている。
脚注
[編集]参考図書
[編集]- 望月, 幹夫「厚木にも前方後円墳があった!」『厚木市史たより 第22号』厚木市、2020年3月25日、1-4頁。 NCID AA12489118 。