坂口康蔵
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坂口 康蔵 さかぐち こうぞう | |
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坂口康蔵 | |
生年月日 | 1885年12月2日 |
出生地 | 東京府 |
没年月日 | 1961年7月28日(75歳没) |
配偶者 | 坂口英子 |
親族 | 添田壽一(義父) |
坂口 康蔵(さかぐち こうぞう、1885年(明治18年)12月2日[1] - 1961年(昭和36年)7月28日[2])は、日本の医師・内科医学者・政治家。東京帝国大学教授や貴族院勅選議員を務めた。
経歴
[編集]東京府出身。1910年(明治43年)、東京帝国大学医科大学を卒業し、附属病院副手、伝染病研究所技手、東京帝国大学助手を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学講師となった[1]。同年、医学博士号を受ける[1]。1926年(大正15年)より欧米に留学し、1928年(昭和2年)に帰国したのち、東京帝国大学助教授、東京警察病院院長となった[1]。その後、同大学教授、同医学部附属病院院長、同医学部長となり、1946年に定年退官した[2]。1946年から1956年まで厚生技官となり、国立東京第一病院院長、国立東京第一病院附属高等看護学院長を務めた[3]。その他、東京帝国大学評議員、日本医師会理事、を務めた[2]。
1946年(昭和21年)12月12日に貴族院議員に勅選され[4]、同和会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
著書
[編集]- 『糖尿病治療法』(吐鳳堂書店、1919年)
- 『糖尿病講話』(近世医学社出版部、1922年)
- 『「ヴィタミン」ト疾病』(克誠堂書店、1924年)
- 『インシュリン』(金原商店、1926年)
親族
[編集]- 添田寿一 - 妻の父[1]。大蔵次官。台湾銀行頭取。日本興業銀行総裁。鉄道院総裁。貴族院議員。
- 岩崎輝弥 - 三女の義父[5]。三菱財閥の2代目総帥・岩崎弥之助の三男。輝弥の長男・毅太郎は坂口の三女・八重子と結婚し坂口家は岩崎家と姻戚関係を持った[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第19版 上』人事興信所、1957年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。