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坂本吉弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂本 吉弘(さかもと よしひろ、1938年10月4日 - )は、日本通産官僚通商産業審議官を最後に退官後、アラビア石油代表取締役社長AOCホールディングス代表取締役社長、三菱重工業取締役セントラル硝子取締役等を歴任した。

人物・経歴

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大阪生まれ。岸和田高校を経て1962年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省[1]。妻は入省同期の坂本春生[2]

JETROシドニー駐在、通商産業省航空機武器課長、通商産業省国会担当参事官、通商産業省産業資金課長、通商産業省機械情報産業局総務課長を経て、1986年通商産業大臣官房総務課長。1987年臨時円高対策本部幹事会座長。同年通商産業省通商政策局国際経済部長。1988年資源エネルギー庁石油部長。1989年通商産業省機械情報産業局次長。1990年通商産業省商務流通審議官。1991年通商産業省基礎産業局長。1992年通商産業省機械情報産業局長。1993年通商産業省通商政策局長。1994年通商産業審議官。1996年退官、通商産業省顧問。

1998年日本エネルギー経済研究所理事長。2000年笹川南東アジア協力基金運営委員[1][3]

2003年アラビア石油代表取締役社長。2004年AOCホールディングス代表取締役社長。2007年三菱重工業顧問。同年三菱重工業取締役[3]。2013年安全保障貿易情報センター理事長。2016年セントラル硝子取締役[4]

略歴

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  • 1962年4月 通産省入省 (企業局立地政策課)
  • 1964年10月 科学技術庁原子力局政策課[5]
  • 1966年11月 重工業局重工業課
  • 1968年10月 繊維雑貨局繊維雑貨輸出課[5]
  • 1970年9月 工業技術院技術振興課
  • 1972年7月 貿易局為替金融課[5]
  • 1973年12月 資源エネルギー庁臨時石油対策本部石油企画官(総括担当)付
  • 1975年2月 資源エネルギー庁長官官房総務課総括班長
  • 1976年12月 JETROシドニージャパントレードセンター
  • 1980年7月 機械情報産業局航空機武器課長
  • 1982年10月 大臣官房参事官
  • 1984年10月 産業政策局産業資金課長
  • 1985年6月 機械情報産業局総務課長
  • 1986年6月 大臣官房総務課長
  • 1987年6月 通商政策局国際経済部長
  • 1988年6月 資源エネルギー庁石油部長
  • 1989年6月 機械情報産業局次長
  • 1990年 通商産業省商務流通審議官
  • 1991年 基礎産業局
  • 1992年 機械情報産業局長 
  • 1993年 通商政策局長
  • 1994年 通商産業審議官
  • 1996年 退官

著書

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  • 『目を世界に心を祖国に―「国益とは何か」を問い続けた通商交渉の現場から』財界研究所 2000年
  • 『エネルギー、いまそこにある危機』日刊工業新聞社 2002年

脚注

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  1. ^ a b インタビュー:坂本吉弘 APIC理事 笹川平和財団
  2. ^ 〔ひと&こと〕通産省 役所を去って花開く−−他 エコノミスト 第78巻 第44号 通巻3474号 2000.10.17
  3. ^ a b 取締役および監査役 - Mitsubishi Heavy Industries 三菱重工業
  4. ^ 「2016年3月期(第102期) 有価証券報告書 (PDF 1,402KB)」 セントラル硝子
  5. ^ a b c 『通商産業省名鑑 1987年版』時評社
先代
内藤正久
通商産業省基礎産業局長
1991年 - 1992年
次代
牧野力
先代
熊野英昭
通商産業省機械情報産業局長
1992年 - 1993年
次代
渡辺修
先代
岡松壯三郎
通商産業省通商政策局長
1993年 - 1994年
次代
細川恒
先代
岡松壯三郎
通商産業審議官
1994年 - 1996年
次代
細川恒
先代
小長啓一
AOCホールディングス社長
2004年 - 2006年
次代
関屋文雄