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坂本忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 2022年1月29日)は、日本の月刊文芸誌『新潮』編集長を長く務めた。三田文学新人賞選考委員、開高健記念会会長。こども読書推進賞表彰選考委員。山口県下関市生まれ[1]

経歴

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  • 東京都立新宿高校を経て、慶應義塾大学文学部独文学専攻を卒業[1]。1959年、新潮社入社[2]。1981年から1995年まで『新潮』編集長に在任。以後14年間一貫して同職を務める(1989年に中瀬ゆかりが同編集部に異動となり坂本の下で働いていた[3]。)『新潮』では川端康成小林秀雄 (批評家)大岡昇平安岡章太郎開高健石原慎太郎大江健三郎江藤淳他、多数の作家を担当。1998年顧問を経て同社を退社。『三田文学』新人賞選考委員、開高健記念会会長[4][5]を務めた[1]
  • 父は元衆議院議員の坂本実。次女坂本徳子は翻訳家。
  • 福田和也は世に出る前、江藤淳に目にかけられていたが、感謝しながらも、「やはり先行する世代と戦わなければ、本当の意味で一人前の批評家とはいえないと考え、自分のスタイルの確立の必要性を感じていた。福田は当時『新潮』編集長の坂本から日頃、「江藤さんは白昼堂々と小林秀雄の舞台を盗んだんだ。批評家はそうでなくてはいけない」と言われていたこともあったと書いている(『文藝春秋』2000年9月)。
  • 文章指導の厳しさに定評があり、何度も書き直しを命じ、相手が大家であっても書き直しを依頼した[6]
  • 2022年1月29日、心不全のため死去。享年86歳[2]

著書

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解説

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  • 「〈手記〉小林秀雄と斎藤十一」-『小林秀雄生誕百年記念 「新潮」四月臨時増刊』に収録、新潮社、2002年
  • 野々上慶一 「思い出の小林秀雄」新潮社、2003年。再編解説

脚注

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  1. ^ a b c 扶桑社著者紹介ページ
  2. ^ a b 坂本忠雄さん死去 元「新潮」編集長:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年12月20日閲覧。
  3. ^ 新潮社 中瀬ゆかり氏が語る、編集者として追い求めてきたこと「人間というのが永遠のテーマであり、永遠の謎」”. Real Sound|リアルサウンド ブック (2021年11月27日). 2023年12月20日閲覧。
  4. ^ 翻訳家らが開高健の秘話を披露/26日、茅ケ崎 |”. カナロコ by 神奈川新聞. 2023年12月20日閲覧。
  5. ^ 名誉館長のつぶや記24 君はいくつになりますか - 下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館”. kinuyo-bunka.jp. 2023年12月20日閲覧。
  6. ^ 小林信彦『決壊』(講談社文芸文庫、坪内祐三解説)

関連項目

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外部リンク

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