坂田東一
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坂田 東一(さかた とういち、1948年〈昭和23年〉11月24日 - )は、日本の文部科学官僚。文部科学事務次官を経て、2011年から2014年までウクライナ駐箚特命全権大使を務めた。瑞宝重光章受章。大阪府出身。
来歴
[編集]大阪府立北野高等学校、東京大学工学部卒業、東京大学大学院工学系研究科機械工学専門課程修士課程修了。1974年科学技術庁入庁。科学技術庁科学技術政策局計画課企画官、文部科学大臣官房審議官、独立行政法人理化学研究所理事、文部科学省大臣官房長、文部科学審議官を経て、2009年7月14日から、2010年7月30日まで文部科学事務次官。
退官後、文部科学省顧問を経て、2010年10月1日より社団法人日本原子力産業協会特任フェロー。2011年9月1日より、ウクライナ駐箚特命全権大使[1][2]兼モルドバ駐箚特命全権大使。2014年2月からロシアのクリミア侵攻がなされ、同年10月30日付で依願退官し、一般社団法人日本原子力産業協会特任フェローに戻った[3]。
2015年6月26日一般財団法人日本宇宙フォーラム理事長に就任[4]。文部科学省科学技術・学術政策研究所シニアフェローや兵庫県参与も歴任[5]。2017年3月、文部科学省天下り問題に関して文書厳重注意相当とされた[6]。
東大ボート部出身[7]。
略歴
[編集]- 1972年4月 東京大学工学部産業機械工学科卒業
- 1974年3月 東京大学大学院工学研究科機械工学専門課程修士課程修了
- 1974年4月 科学技術庁入庁(計画局計画課)[8]
- 1976年7月 原子力安全局核燃料規制課規制第1係長
- 1977年7月 人事院留学(米国・コーネル大学経営大学院)
- 1979年7月 原子力局政策課総括係長
- 1980年10月 原子力局政策課長補佐
- 1981年7月 原子力局原子力開発機関監理官補佐(原研担当)
- 1984年4月 原子力局調査国際協力課長補佐(国際協力担当)
- 1985年6月 原子力局調査国際協力課調査統計室専門職
- 1985年7月 外務省在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官
- 1989年4月 科学技術庁科学技術政策局計画課企画官
- 1989年6月 科学技術政策局政策課企画官
- 1990年6月 原子力局核燃料課長
- 1993年6月 研究開発局宇宙企画課長
- 1995年7月 理化学研究所参事(放射光研究施設担当)
- 1996年6月 科学技術政策局計画課長
- 1998年6月 原子力局政策課長
- 1999年7月 長官官房総務課長
- 2001年1月 文部科学省大臣官房審議官(研究振興局担当)
- 2003年7月 研究開発局長
- 2005年7月 理化学研究所理事
- 2007年 官房長
- 2008年 文部科学審議官
- 2009年 文部科学事務次官
- 2010年 退官
- 2021年 瑞宝重光章受章[9][10]
脚注
[編集]- ^ スペイン大使に佐藤氏を起用 坂田 東一氏(さかた・とういち=ウクライナ大使)”. 日本経済新聞 NIKKEI.NET (2011年8月26日). 2014年5月19日閲覧。 “
- ^ 「ウクライナ大使に坂田前文科事務次官 原子力専門家起用 チェルノブイリ経験参考に」『産経新聞』2011年8月26日
- ^ 「特別インタビュー 坂田東一 前ウクライナ特命全権大使に聞く」原子力産業新聞2015年1月22日
- ^ 「理事長挨拶」日本宇宙フォーラム
- ^ 「坂田東一氏(前駐ウクライナ日本国特命全権大使)講演会の開催」兵庫県
- ^ 「追加処分者一覧」毎日新聞2017年3月30日 21時28分(最終更新 3月30日 22時27分)
- ^ “文部科学省 事務次官に坂田文部科学審議官”. www.jaif.or.jp. 2021年2月25日閲覧。
- ^ https://www.riken.jp/medialibrary/riken/pr/topics/2005/20050716_1/20050716_1.pdf
- ^ 秋の叙勲受章者毎日新聞 2021/11/3 東京朝刊
- ^ 『官報』号外第250号、令和3年11月4日
参考文献
[編集]- 教育学術新聞 : 教育学術オンライン 第2324号 - 日本私立大学協会
外部リンク
[編集]- 大使のページ(在ウクライナ日本国大使館公式ホームページ)
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