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坊城伸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坊城 伸子(ぼうじょう ただこ、1830年3月8日文政13年2月14日) - 1851年1月18日嘉永3年12月17日))は、孝明天皇典侍。父は権大納言である坊城俊明

生涯

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孝明天皇の後宮に入り、1847年弘化4年)に典侍となる[1]

1851年嘉永3年)に懐妊し、坊城邸にかえるが、まもなく病気にかかり、同年12月17日に第一皇子・妙香華院を生んだが、親子ともにに死没した。享年21[2][1]

脚注

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  1. ^ a b 坊城伸子』 - コトバンク
  2. ^ 第二章 天皇の后妃(以上四二号)”. 成城大学法学部. 2022年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月12日閲覧。