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坊城 伸子(ぼうじょう ただこ、1830年3月8日(文政13年2月14日) - 1851年1月18日(嘉永3年12月17日))は、孝明天皇の典侍。父は権大納言である坊城俊明。
孝明天皇の後宮に入り、1847年(弘化4年)に典侍となる[1]。
1851年(嘉永3年)に懐妊し、坊城邸にかえるが、まもなく病気にかかり、同年12月17日に第一皇子・妙香華院を生んだが、親子ともにに死没した。享年21[2][1]。
- ^ a b 『坊城伸子』 - コトバンク
- ^ “第二章 天皇の后妃(以上四二号)”. 成城大学法学部. 2022年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月12日閲覧。