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坪内定次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
坪内定次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長元年(1596年
死没 延宝元年11月7日1673年12月14日
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 坪内氏
父母 父:坪内家定、母:生駒家長
兄弟 定仍定次
横井弥兵衛の娘
定守定鑑徳永昌興妻、長谷川重棟妻、田中勝以妻、田中勝尹
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坪内 定次(つぼうち さだつぐ)は、江戸時代前期の旗本

慶長元年(1596年)、坪内家定の次男として誕生。慶長15年(1610年)、2代将軍徳川秀忠に拝謁して小姓組に列し、300石を拝領。秀忠直轄として近侍し、大坂の陣に従軍して武功を挙げる。寛永3年(1626年)の秀忠上洛にも供奉している。寛永10年(1633年)、甲斐国に500石を拝領して御徒頭に昇進したが、寛永18年(1641年)に徳川家光の勘気を被り、半年逼塞した。

正保元年(1644年)2月に御先鉄砲頭、同年12月に持筒頭に栄進。寛文3年(1663年)に致仕し、延宝元年(1673年)、死去。享年78。

家光が狩りに出かけた時これに供奉し、家光は自ら野猪を突き伏せるのに用いた平安城吉房の槍を定次に与えたという。

出典

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