城戸季吉
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城戸 季吉(きど すえきち、1876年10月5日[1] - 1954年8月22日[2])は、日本の実業家。鐘淵紡績社長[注釈 1]。
経歴
[編集]士族廣羽元保(「元佐」とする記述もあり[2])の三男として福岡県早良郡内野村本城(現・福岡市早良区内野)[2]に生まれ、福岡市の城戸融の養子となる。1898年福岡県立尋常中学修猷館[3]、1901年第五高等学校工科[4]を経て、1905年東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業[5]。
東大卒業後、鐘淵紡績に入社し、事業部工務課長、取締役常務、副社長を経て社長に就任する[6]。その他、日本合成化学工業社長、鐘淵実業副社長、民生産業社長[2]、鶴ノ川鉱業代表、鐘淵海水利用工業・東邦パルプ・神島人肥・康徳毛織・哈爾濱工廠・尼崎製鉄・梅田機械製作所・興国化学工業・東満州人絹パルプ・樺太採炭鉱の各取締役を歴任した。1947年12月鐘紡を辞任。
実兄には京都帝国大学第10代総長を務めた物理化学者松井元興がいる[2]。
参考文献
[編集]- 『人事興信録第15版上巻』人事興信所、1948年
- 『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年
注釈
[編集]- ^ 鐘紡株式会社社史編纂室編『鐘紡百年史』(1988年)「歴代役員任期一覧表」の記載によると、城戸の同社役員任期における最終かつ最高位役職は1941年1月25日から1944年1月31日まで務めた副社長である(p.1004)。