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城景茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
城景茂
時代 戦国時代
生誕 大永2年(1522年[注釈 1]
死没 天正15年(1587年
別名 通称:次郎左衛門、織部、号:意庵[1]
戒名 道逸[1]
官位 和泉守[2]
主君 長尾上杉氏甲斐武田家徳川家
氏族 玉虫氏城氏[2]
父母 父:玉虫貞茂[1]
兄弟 景茂定茂[2](繁茂[1])、某(忠兵衛)[1]
昌茂[2]
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城 景茂(じょう かげもち)は、戦国時代武将。はじめ長尾上杉氏[3]、のち甲斐武田家、武田家没落後は徳川家家臣[2]

経歴・人物

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もと玉虫氏の出自[2]。はじめ上杉謙信に仕えるが謙信の不興を買い[3]永禄3年(1560年)より武田信玄に仕え足軽大将となり城氏を名乗る[2]。永禄10年(1567年)より[3]弟の定茂と共に鉄砲衆を率い、さらに永禄12年(1569年本郷八郎右衛門薩埵峠の戦いで戦死するとその足軽の一部を引き継いだ[2]

信玄の死後、長篠の戦いでは徳川軍の援軍として出陣し、天正6年(1578年)からは遠江に在番した[2]。天正10年(1582年甲州征伐で武田家が滅びると、息子の昌茂と共に徳川家康に拝謁し、以後徳川家に仕えた[2]。のち天正12年(1584年長久手の戦いに参陣した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『戦国人名事典』によると生没年は天文15年(1546年)・慶長15年(1610年

出典

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  1. ^ a b c d e f 寛政重修諸家譜』巻第五百十三
  2. ^ a b c d e f g h i j 柴辻俊六; 平山優 編『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、229頁。ISBN 978-4-404-03424-3 
  3. ^ a b c 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』新人物往来社、1987年、409頁。