城陽市立北城陽中学校
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城陽市立北城陽中学校 | |
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北緯34度52分06秒 東経135度45分50秒 / 北緯34.868417度 東経135.763889度座標: 北緯34度52分06秒 東経135度45分50秒 / 北緯34.868417度 東経135.763889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 城陽市 |
設立年月日 | 1981年(昭和56年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C126210001007 |
所在地 | 〒610-0101 |
京都府城陽市平川長筬33番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
城陽市立北城陽中学校(じょうようしりつ きたじょうようちゅうがっこう)は、京都府城陽市平川長筬にある公立中学校。学校給食センター方式の給食を実施している。略称は「北城中」「北中」。
概要
[編集]城陽市北部を校区とする中学校で、校地は宇治市との境界線に接している(地理的には宇治市に近いが、道路は宇治市側とつながっていない)。第5番目の市立中学校として、1981年に城陽市立西城陽中学校から分離する形で開校した。元々城陽市における市立中学校の建設は4校の予定であった[1]。しかし、当時建設予定の仮称第四中学校(現在の城陽市立東城陽中学校)の立地場所が大きく東側に偏っており、今後西城陽中学校も生徒数が増加することが予想され、更には2小学校1中学校が妥当であるという判断から、急きょ現在の北城陽中学校が第五中学校として、第四中学校と同時に建設されることとなった[2]。ピーク時は全校生徒が1000人を超えたが、近年(2009年時点)は少子化の影響により、1学年2〜3クラス程度にまで減少している。
沿革
[編集]- 1981年(昭和56年)4月 - 城陽市立北城陽中学校開校
- 1982年(昭和57年)1月 - 校歌制定
- 1985年(昭和60年)12月 - 学校環境緑化を推進
- 1986年(昭和61年)4月 - 校舎を増築(南棟1階西 2教室)
- 1987年(昭和62年)4月 - 校則を緩和[3]。新制服(ブレザー)を採用[3]
- 1993年(平成5年)9月 - グラウンド改良工事完成
- 1998年(平成10年)4月 - 焼却炉廃止に伴いシュレッダー設置
- 2002年(平成14年)3月 - 防犯システムを設置
- 2005年(平成17年)9月 - 体育館床改修工事が完成
- 2006年(平成18年)12月 - 耐震診断調査を実施
- 2008年(平成20年)6月 - プール塗装改修工事の完成
- 2008年(平成20年)8月 - シャワー設備工事が完成
- 2008年(平成20年)10月 - 校舎耐震診断調査及び耐震補強設計業務委託に着手
- 2011年(平成23年)8月 - 韓国慶山市の中学生訪問団20人が来校[4]
部活動
[編集]- 体育系
- 軟式野球部
- 陸上競技部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 女子バレーボール部
- 男子ソフトテニス部
- 女子ソフトテニス部
- 剣道部
- 卓球部
- 文化系
- 吹奏楽部
- 美術・工芸部
通学区域
[編集]城陽市では公立学校選択制が導入されていないため、この2校の小学校区在住の場合、市立中学校への進学は原則北城陽中学校となる。
- 城陽市立久津川小学校(全域)
- 城陽市立古川小学校(全域)
学校の周辺
[編集]- 周辺施設
- 三和研磨工業 城陽工場
- 城陽福祉会 ケアハウスミレー京都
- 京都生協南部物流センター
- コメリ城陽店
- リカーマウンテン城陽平川店
- 宇治市立南宇治中学校
- 宇治市立平盛小学校
- 府営西大久保団地
- 周辺道路
交通
[編集]通学区域が隣接している学校
[編集]脚注
[編集]- ^ 当初は城陽中学校:小学校2校、西城陽中学校:同3校、南城陽中学校:同3校、東城陽中学校同2校の計画であった。
- ^ 出典:東城陽中学校育友会『創立十周年記念誌「東の陽光」』1990年
- ^ a b 「北城陽中に拍手」1987年2月16日付毎日新聞
- ^ “韓国の中学生、おかげ踊り満喫 北城陽中で交流”. 京都新聞 (2011年8月4日). 2011年8月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 城陽市教育委員会『平成21年度城陽市教育要覧』2009年
- 北城陽中学校『北城陽中学校10周年記念誌「星辰たちのフォークロア」』1990年10月20日
- 北城陽中学校『北城陽中学校二十周年記念誌「Nagusa」』2001年2月