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堀嘉昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀 嘉昭(ほり よしあき, 1933年(昭和8年)-2000年(平成12年))は日本医学者、医師。専門は皮膚科学。勲三等瑞宝章

来歴

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堀家は江戸時代より代々富山藩典医。父親は第二次世界大戦まで皇室の侍医、戦後は内科開業医。昭和8年東京市芝区にて出生。

都立新宿高等学校卒業。東京大学教養学部理科2類入学。森田一・元衆議院議員(大蔵官僚、大平正芳元首相の娘婿)は、理2B組の同級生。昭和35年東京大学医学部医学科卒業、1年間東大病院にて実地修練(インターン)。昭和36年東京大学医学部皮膚科教室入局。昭和40年東京大学大学院医学研究科修了、医学博士。 同年、東京大学医学部皮膚科助手。虎ノ門病院医員。米国ハーバード大学医学部リサーチフェロー (皮膚科)。北里大学医学部皮膚科助教授。東京大学医学部皮膚科助教授, 東大病院分院皮膚科科長。山梨医科大学皮膚科初代教授を経て、 昭和62年九州大学医学部皮膚科[1]第5代教授。日本皮膚科学会理事長。麻生セメント(株)飯塚病院院長。叙勲:勲三等瑞宝章

人物

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皮膚科医としての人生の殆どを医育機関で過ごした。皮膚科医にならなければ、脳神経外科か第1外科(主に消化器外科)に進もうと考えていた。どちらも成績がよく、教授や野球部の先輩(昭和天皇の主治医を務めた森岡恭彦教授他、後年多くが有名教授になった)に勧誘されたという。

医者にならなかった場合は、法学部に進学し法職に就こうと考えていた。

当時、他の大学医学部学生は、大学入学時より医学進学課程に在籍したが、東京大学のみ旧制高等学校と同様の進学振り分け制度が存続した。理科2類から医学部への進学は競争が激しく、留年が多く、また、医学進学課程のなかった新設の東京医科歯科大学へ進学する学生も多かった。後に医学部進学が確約された理科3類が昭和37年に設置された。大学受験時、慶応大学医学部と横浜市立大学医学部(特待生)に合格した為、医学部進学が約束された慶応大学への進学も考えた。しかし、旧制第四高等学校から東京帝大医学部に現役で進学した父親は他大学進学を許可しなかったという。なお、大正時代初期まで、全国の旧制高校理科乙類(独語第1選択クラスの医学部進学コース)の定員と帝国大学医学部(東大、京大、九大の3校のみ)の定員は同数で、進学振り分けで進学先が決まっていた。

趣味は野球。鉄門(東大医学部)野球部時代はショート、あるいはセカンド。在学中、第1回東日本医科学生体育大会(東医体)を鉄門が開催し野球部も主管。医局対抗野球ではピッチャー。同じく野球好きの、北里大学皮膚科西山茂夫教授の皮膚科医の採用面接では、「皮膚科医の条件は何かね?」と聞かれた医学部学生は一般的なことを答えたが、「そんなことは当たり前だ。野球だよ!」と言ったことは有名だった。チーム名は「Lues」(梅毒のこと)。なお、大正時代までに創立した多くの医学部、医科大学、医学専門学校では、「皮膚病梅毒学講座」が一般的であった。

観戦においては、特定の球団を応援していたわけではなく、野球そのものを楽しんでいた。 福岡ドームでのダイエー戦では、応援している姿が何度もテレビ画面に映った。九大皮膚科教室の主催した第93回日本皮膚科学会総会では、各支部対抗の親善野球大会を福岡ドームを借り切って開催した。九大同僚教授からは、「学会で誰が何を話したかなんてすぐに忘れてしまいますが、野球をやったことはいつまでも覚えていてくれますよ」と言われたという。

学会・研究活動

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主研究領域は、色素異常症、皮膚悪性腫瘍、母斑症[2]

電子顕微鏡を用いた形態学的手法、免疫学的手法により、メラニン形成機序、母斑細胞母斑・皮膚色素異常症・神経皮膚症候群の病態生理。 悪性黒色腫・皮膚悪性腫瘍の免疫組織化学的診 断および治療など多岐にわたる。 九大油症治療研究班の班長を6年間務めた。

日本皮膚科学会理事長(第12代) 昭和63年:第13回日本研究皮膚科学会会長。平成元年:第4回日本色素細胞学会会長。平成6年:第93回日本皮膚科学会総会会長。平成6年:色素細胞と悪性黒色腫の国際シンポジウム会頭。

学外活動

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文部省 大学設置審議会分科会委員

厚生省 難治性疾患研究班班員

文献

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堀 嘉昭教授退官記念「堀 嘉昭教授業績ならびに教室業績」九州大学医学部皮膚科教室編 1997, 実地皮膚科学 文光堂 1986, 色素異常症 皮膚科MOOK No.5 金原出版 1986, 毛の医学 文光堂 1987, YUSHO A Human Disaster Caused by PCBs and Related Compounds. 1996, 皮膚悪性リンパ腫アトラス 文光堂 1996, 内科医のための皮膚病変のみかた 文光堂 1999

脚注

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