コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

堀川美哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀川 美哉
ほりかわ よしや
生年月日 (1883-05-17) 1883年5月17日
出生地 日本の旗 日本 三重県名賀郡比奈知村[1]
没年月日 1963年6月22日(1963-06-22)(80歳没)
出身校 早稲田大学大学部政治経済科[1]
前職 ジャーナリスト
所属政党 立憲国民党立憲政友会

日本における郵船商船規則の旗 衆議院議員
選挙区 三重県郡部
在任期間 1917年 - 1920年

日本における郵船商船規則の旗 衆議院議員
選挙区 三重県第1区
在任期間 1932年 - 1936年

津市
在任期間 1930年1月 - 1945年8月
1946年7月 - 1946年11月
1953年5月 - 1957年5月
テンプレートを表示

堀川 美哉(ほりかわ よしや、1883年明治16年)5月17日[1] - 1963年昭和38年)6月22日[2])は、衆議院議員立憲国民党立憲民政党)。市長

経歴

[編集]

三重県名賀郡比奈知村(現在の名張市)出身[1]。旧制三重県立津中学(現・三重県立津高等学校)を経て、1908年(明治41年)、早稲田大学大学部政治経済科を卒業[1]。『東京日日新聞』記者となり、また一年志願兵として陸軍三等主計に任じられ、さらにアメリカ合衆国コロンビア大学イギリスロンドン大学に留学した[3]

1917年大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

1922年(大正11年)から1927年(昭和2年)まで『中外商業新報』記者を務めた。

1930年(昭和5年)に津市長に選出され、1945年(昭和20年)まで在任した。その間、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

その後、1946年(昭和21年)7月に津市長石原雅二郎の辞任に伴い再任されたが、戦時中は翼賛体制協議会構成員だったため、公職追放となるおそれがあり、11月に市長を辞任する。その後公職追放となり[4]、追放解除後の1953年(昭和28年)にも津市長に選ばれた。

人物

[編集]

住所は津市乙部[1]

著書

[編集]
  • 『英国の経済的勢力』(越山堂書店、1916年)
  • 『通俗経済十二講』(越山堂、1925年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』759 - 760頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月11日閲覧。
  2. ^ 『人物物故大年表II 日本人編(1946〜2004)』日外アソシエーツ、2006年。
  3. ^ 『全国市長銘鑑』p.40
  4. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、130頁。NDLJP:1276156 

参考文献

[編集]
  • 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。