堀田正功
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 安永8年4月16日(1779年5月31日) |
死没 | 享和2年1月22日(1802年2月24日) |
戒名 | 松籟院天阿熊岳邃音 |
官位 | 従五位下相模守 |
藩 | 下総佐倉藩世嗣 |
氏族 | 堀田氏 |
父母 | 父:堀田正順 |
兄弟 | 正功、弥、八十 |
妻 |
正室:戸田氏教娘 側室:大島氏娘・豊瀬 |
子 | 正愛、多鶴姫 |
堀田 正功(ほった まさこと)は、江戸時代中期から後期にかけての下総国佐倉藩の世嗣。官位は従五位下・相模守。
略歴
[編集]2代藩主・堀田正順の長男として誕生。
寛政9年(1797年)に徳川家斉に初御目見・叙任する。しかし、家督相続前の享和2年(1802年)に早世した。代わって、叔父・正時が嫡子となった。
法名は松籟院天阿熊岳邃音。