堀田正高
表示
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 寛文7年(1667年) |
死没 | 享保13年5月29日(1728年7月6日) |
別名 | 正有、正在 |
戒名 | 慈山元海建功院 |
墓所 | 東京都渋谷区広尾の祥雲寺塔頭香林院 |
官位 | 従五位下、備後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野佐野藩主→近江堅田藩主 |
氏族 | 堀田氏 |
父母 | 父:堀田正俊、母:稲葉正則の娘 |
兄弟 | 正仲、正虎、正高、正武 |
妻 | 正室:田中氏、側室:福本氏、仙石氏 |
子 |
正芳(長男)、正冬(次男)、正峯、正永、 光賀正勤(十男)、堀田正氏(十一男) |
堀田 正高(ほった まさたか)は、下野佐野藩主、のち近江堅田藩の初代藩主。堀田家正高流分家初代。
徳川綱吉に仕え大老を務めた堀田正俊の三男。母は稲葉正則の娘。諱は正有、正在とも。
貞享元年(1684年)、父が暗殺され兄の正仲が跡を継いだ際に1万石を分与され、佐野藩主となった。
享保7年(1722年)5月9日、七男の正峯に家督を譲って隠居し、享保13年(1728年)5月29日に62歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 田中氏
側室
- 福本氏
- 仙石氏
子女