堀直升
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堀 直升(ほり なおます、慶長13年(1608年) - 寛永14年3月17日(1637年4月12日))は、江戸時代前期の大名。信濃国須坂藩の第2代藩主。信濃須坂堀家2代。
初代藩主堀直重の長男。母は堀秀重の娘。正室は堀直之の娘。子に堀直輝(長男)、娘(花房幸昌正室)。官位は従五位下、淡路守。
元和元年(1615年)、将軍徳川秀忠に拝謁する。元和3年(1617年)、父・直重の死去により家督を相続する。相続時、下総国香取郡矢作2000石のうち、次弟の堀直昭に1000石、三弟の直久と末弟の直秀(いずれも一代で無嗣断絶)に500石ずつを分知した。
寛永14年(1637年)に没し、跡を長男の直輝が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 堀直之の娘
子女
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第767」