堺市歌
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堺市歌 | |
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作詞 | 安西冬衛 |
作曲 | 佐藤吉五郎 |
採用時期 | 1935年 |
採用終了 | 1958年(2代目「堺市民の歌」制定) |
言語 | 日本語 |
「堺市歌」(さかいしか)は、日本の政令指定都市の1市である大阪府堺市の初代市歌。作詞・安西冬衛、作曲・佐藤吉五郎。
解説
[編集]「堺市歌」 | |
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佐伯富美子 の シングル | |
A面 | 堺市歌 |
B面 | 堺市歌(ヴァイオリン演奏) |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 市民歌 |
レーベル | タイヘイレコード(M-936) |
作詞・作曲 |
作詞:安西冬衛 作曲:佐藤吉五郎 編曲:近藤十九二 |
1935年(昭和10年)に制定され[1]、タイヘイレコードが佐伯富美子の歌唱によりSPレコードを製造した。制定に当たって歌詞の公募等は実施されず作詞は詩人の安西冬衛、作曲はヴァイオリニストの佐藤吉五郎にそれぞれ依頼されている[2]。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結後は演奏の機会が失われ、1959年(昭和34年)の市制70周年を記念した現行の2代目「堺市民の歌」(作詞・中川至誠、補作・竹中郁、作曲・平井康三郎)制定に伴い廃止された。
歌詞
[編集]補足
[編集]1番の「三陵」は百舌鳥古墳群のうち、天皇陵に比定されている田出井山古墳(百舌鳥耳原北陵、伝反正天皇陵)・大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵、伝仁徳天皇陵)・上石津ミサンザイ古墳(百舌鳥耳原南陵、伝履中天皇陵)のこと。
2番の「東洋のベニス」は戦国時代に堺を訪れた宣教師のガスパル・ヴィレラが、自由都市としての繁栄ぶりをヴェネツィア(Veniceはヴェネツィアの英語名)になぞらえて「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と記したことに由来する堺市の雅称である。
参考文献
[編集]- 小葉田淳 編集『堺市史 続編』 3巻(堺市役所、1972年) NCID BN02407853
- 堺市秘書課 編『堺市制施行五十年誌』(堺市、1939年) NDLJP:1440898 - 巻頭部に歌詞・楽譜掲載
- 堺のうたには、どんなものがあるの?(堺市立図書館「図書館で解決!?」第2号)