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塔本シスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塔本 シスコとうもと しすこ1913年大正2年) - 2005年平成17年))は、日本の素朴派画家熊本県出身[1]

48歳の時に軽い脳溢血で倒れた後、手足のリハビリをかねて独学で絵を描く。本格的に絵を描き出すようになったのは53歳になってからである[1]。日本では山下清谷内六郎とともに素朴派の画家とされている。

略歴

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  • 1913年大正2年) - 熊本県八代郡郡築村(現・八代市)に生まれ、熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)に9人弟妹の長女として育つ。養父はサンフランシスコ行きの夢を託し「シスコ」と名付けた。
  • 1933年昭和8年) - 塔本末蔵と結婚。
  • 1943年(昭和18年) - 長男 賢一誕生。46年に長女 和子誕生。
  • 1959年(昭和34年) - 夫 末蔵労災死。体調不良が続く。
  • 1961年(昭和36年) - 軽い脳溢血で倒れ、手足と心のリハビリをかねて石を彫る。家にある画材で絵を描き始める。
  • 1967年(昭和41年) - 熊日総合美術展に出品。
  • 1969年(昭和44年) - 具現美術協会でカワチ賞・奨励賞を受賞。
  • 1970年(昭和45年) - 長男 賢一と同居のため上阪。この頃から旺盛な制作がスタート。
  • 1994年平成6年) - 個展「塔本シスコはキャンバスを耕す」(滋賀県立八日市文化芸術会館、ハーモ美術館/長野)
  • 1996年(平成8年) - 「芸術と素朴」(世田谷美術館/東京)。娘・和子と死別。絵が描けなくなる。
  • 1997年(平成9年) - 和子の一周忌の日に《シスコの女神》を描く。絵の隅には小さく「和子命日ハレ」と記した。これを機に再び創作意欲は堰を切ったようにあふれだした。
  • 2000年(平成12年) - 「素朴って?ライフ&ビジョン」(愛媛県美術館
  • 2001年(平成13年) - 貧血で倒れ、その後89歳で認知症を発症するが、制作は意欲的に続ける。
  • 2005年(平成17年) - 死去。享年92。
  • 2006年(平成18年) - 「快走老人録」(ボーダレス・アートミュージアム NO-MA/滋賀)
  • 2008年(平成20年) - 「ピクニックあるいは回遊」(熊本市現代美術館)、「マイ・アートフル・ライフ〜描くことのよろこび〜」(川口市アートギャラリー・アトリア/埼玉)
  • 2009年(平成21年) - 「マイ・アートフル・ライフ〜描くことのよろこび〜」(京都造形芸術大学ギャルリ・オーブ/京都)
  • 2011年(平成23年) - 「アンリ・ルソーと素朴な画家たち」(市立小樽美術館)他
  • 2013年(平成25年)
    • 「塔本シスコ生誕100年記念 シスコと生きる」出版
    • 「塔本シスコはキャンバスを耕す」(くずはアートギャラリー/大阪府
    • 「生誕100年塔本シスコ展 この喜びは何だろう」(不知火美術館
    • 「CAMKコレクション vol.4 『来た、見た、クマモト!』」(熊本市現代美術館
    • アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界」(世田谷美術館
  • 2014年(平成26年) - 「川崎市制90周年記念事業「岡本太郎とアール・ブリュット-生の芸術の地平へ」(川崎市岡本太郎美術館
  • 2021年(令和3年) - 「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記」(世田谷美術館

代表作

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脚注

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外部リンク

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