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塚本学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塚本 学(つかもと まなぶ、1927年1月14日[1] - 2013年4月12日[2])は、日本歴史学者。専門は日本近世史、地方史。国立歴史民俗博物館名誉教授福岡市出身。 

経歴

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福岡市で熊沢尚文[4]の次男に生まれる。父方縁家の塚本家と「熊沢の次男は塚本家の養嗣子に」という出生前からの約束で、旧幕臣塚本明毅の三男・塚本明籌(あきかず)(他の男子が早世したので明毅の後を継いでいた)の養子となる[5]塚本の最後となった著書は戸籍上の祖父の評伝である。

福岡県立尋常中学修猷館から旧制福岡高等学校を経て、1950年東京大学文学部国史学科卒業[6]

「明治用水史誌の編纂主任として地方史研究を開始し」[1]、愛知県公立高校教諭を経て、1970年より信州大学人文学部助教授教授をつとめ、1981年8月から国立歴史民俗博物館民俗研究部教授を併任[7]、1983年より国立歴史民俗博物館 歴史研究部教授、1992年定年退官、名誉教授の称号を受ける[1][8]

2013年4月12日、心不全のため死去。86歳没。

著書

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共編著・校訂など

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  • 愛知県の歴史』山川出版社、1970年、新井喜久夫と共編著
  • 『列島文化再考:歴史学と民俗学』網野善彦坪井洋文宮田登共著、日本エディタースクール出版部、1989年/ちくま学芸文庫、2015年、
  • 『村の生活文化』編著、中央公論社〈日本の近世 8〉、1992年
  • 『日本歴史民俗論集 1 歴史学と民俗学』網野善彦宮田登福田アジオ編、吉川弘文館、1992年12月 ※塚本 執筆「近世史研究と民俗学」
  • 『日本歴史民俗論集 3 家・親族の生活文化』福田アジオ共編、吉川弘文館、1993年2月
  • 『日本歴史民俗論集 4 村の生活文化』福田アジオ共編、吉川弘文館、1993年6月
  • 『日本歴史民俗論集 5 都市の生活文化』宮田登共編、吉川弘文館、1993年8月
  • 『日本歴史民俗論集 10 民間信仰と民衆宗教』宮田登共編、吉川弘文館、1994年6月
  • 朝日重章『摘録鸚鵡篭中記 元禄武士の日記』編注、岩波文庫(上下)、1995年
  • 戸田茂睡『御当代記 将軍綱吉の時代』校注、平凡社東洋文庫、1998年

記念論集

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  • 『古代・中世の信濃社会 塚本学先生退官記念論文集』塚本学先生退官記念論文集刊行会編著 銀河書房 、1992年 [9]
  • 『近世・近代の信濃社会 塚本学先生退官記念論文集』塚本学先生退官記念論集編集委員会編 竜鳳書房 、1995年

脚注・出典

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  1. ^ a b c 小池淳一 2020, p. 22.
  2. ^ 塚本学氏=国立歴史民俗博物館名誉教授・日本近世史 / 読売新聞 - ウェイバックマシン(2013年4月20日アーカイブ分)
  3. ^ "熊沢善庵". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社. 2015.
  4. ^ 小池淳一 2020, p. 29, "尚文の父親は熊沢善庵[3]".
  5. ^ 小池淳一 2020, p. 22,28-29.
  6. ^ 小池淳一 2020, pp. 22, 38, 66, "卒業論文は古代史であった.":p.22.
  7. ^ 福田豊彦「塚本學先生をお送りする」『国立歴史民俗博物館研究報告』第39巻、国立歴史民俗博物館、1992年3月31日、p.211、doi:10.15024/00000546 
  8. ^ a b 著者紹介 紀伊國屋書店.2024年2月24日閲覧。
  9. ^ 石井進「新刊紹介」『史学雑誌』第101巻第12号、史学会、1992年、2160-2161頁、doi:10.24471/shigaku.101.12_2160 

参考文献

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※p.22:塚本の生涯と業績・訃報に関し、同著者 小池が『日本歴史』2013年8月号(第783号)「学界消息」(139頁)に記したものを転記。p.23-68:2003年4月・5月に「誕生から大学入学までの期間」について国立歴史民俗博物館で行った対談、親族に関する記載もある。

外部リンク

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