塩川幸太
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塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日(元治元年3月3日[1][2]) - 1936年(昭和11年)1月21日[3])は、日本の実業家、政治家。佐久銀行頭取[4][5][6]。衆議院議員(長野県郡部選出、当選1回)[5]。勲四等[4][5]。族籍は長野県平民[2][6]。
来歴
[編集]信濃国佐久郡森山村(現・長野県小諸市)生まれ。塩川仁助の長男[4][6]。塩川家は代々農業を営む[6]。郡会議員、県会議員に選ばれる[5]。1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選する。立憲政友会に所属[5]。実業界では佐久銀行頭取、長野農工銀行取締役、長野貯蓄銀行監査役などをつとめる[4][5]。
人物
[編集]1883年、家督を相続する[4]。住所は長野県北佐久郡三岡村[2][6]。
家族・親族
[編集]- 塩川家
- 父・仁助(長野平民)[2]
- 母・ぢん(1846年 - ?、長野、塩川幸次郎の姉)[2]
- 妻・よふ(1865年 - ?、長野、小山代吉の長女)[4][6]
- 長男・政巳[6](1893年 - ?、佐久銀行頭取)
- 長女[4]
- 二女[4]
- 三女[4]
- 孫[4]
- 娘婿:吉川亮夫 (衆議院議員)
- 親戚
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、15頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』し21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』304頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第10版 上』シ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』409頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』し21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。