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塩田正太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩田 正太郎(しおた しょうたろう、1879年明治12年)6月22日[1] - 没年不明)は、日本政治家実業家。香川県三豊郡仁尾町長(初代)[1]香川県会議員[2]。仁尾塩田(現・仁尾興産)取締役[2][3][4][5]

経歴

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香川県三野郡仁尾村生まれ[1]。塩田廣太郎の長男[3][4][5]1899年慶應義塾高等科卒業[6]1918年、父退隠により家督を相続した[4]1921年1月から1924年3月まで仁尾村長をつとめた[1]。1924年4月から1925年2月まで仁尾町長をつとめた[1]

仁尾塩田会社の重役で、三豊紡績会社の重役を兼ねた[4][5]。また香川県参事会員であった[4][5]

人物

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1923年頃の社会不安(農民党と地主との対立)について、塩田が出てその間の調停をうまくやり、その手腕は社会から認められた[1]。住所は香川県三豊郡仁尾町[4][5]

家族・親族

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塩田家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『仁尾町誌』211、456頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月24日閲覧。
  2. ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』852頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月21日閲覧。
  3. ^ a b 『人事興信録 第8版』シ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月21日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第11版 上』シ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第12版 上』シ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月21日閲覧。
  6. ^ 『慶応義塾総覧 大正3年』173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月21日閲覧。
  7. ^ 『人事興信録 第14版 上』イ169頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月23日閲覧。

参考文献

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  • 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正3年』慶応義塾、1914年。
  • 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』慶応義塾、1924-1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 仁尾町誌編集委員会編『仁尾町誌』仁尾町、1955年。