塩田武史
表示
塩田 武史(しおた たけし、1945年4月15日 - 2014年9月30日)は、日本の写真家。本名は塩田武。
法政大学在学中に水俣病に関心を持ち、1970年に水俣市に移住[1]。1972年に水俣病患者を撮影した最初の写真集を出版した。水俣市には15年間居住し、2013年のインタビューでは「居心地がよかった。ふるさとみたいです」と述べている[1]。
経歴
[編集]- 1945年4月15日、香川県高松市生まれ。
- 1964年4月、香川県立高松商業高等学校卒業後、大阪で就職。
- 1965年4月、法政大学社会学部入学、カメラ部に入部。
- 1969年、土本典昭監督『水俣 - 患者さんとその世界』の取材でスチール撮影を担当
- 1970年3月、法政大学社会学部卒業後、熊本県水俣市に移住[2]。
- 1971年6月、初の個展「水俣・深き淵より」を銀座・ニコンサロンで開催。
- 1972年6月、ストックホルムで第1回「国際連合人間環境会議」が開催。塩田は会議に出席する患者家族に同行取材した[3]。
- 1974年6月、水俣病患者らとともにカナダの水俣病患者居留地を訪問。
- 1974年10月、第1回「世界環境写真コンテスト」(国連環境計画主催)にて特別賞を受賞
- 1985年から熊本県熊本市に在住。
- 2009年、『僕が写した愛しい水俣』で第30回熊日出版文化賞を受賞。
- 2014年9月30日、心筋梗塞のため死去[2][4]。69歳没。
著書
[編集]単著
[編集]共著
[編集]- 桑原史成、塩田武史、宮本成美、ユージン・スミス、アイリーン・美緒子・スミス、小柴一良、田中史子、芥川仁『水俣を見た7人の写真家たち』弦書房、2007年4月30日。ISBN 978-4902116847。
脚注
[編集]- ^ a b 水俣な人 水俣病を支援した人びとの軌跡 塩田武史さん ブックス・アサヒ・コム「著者に会いたい」(2013年6月2日)[リンク切れ]
- ^ a b 塩田武史さん死去 水俣病患者の日常撮り続ける 熊本新聞 2014年9月30日
- ^ 奥正光 (2020年1月31日). “熊本)写真家・塩田さんの作品展 水俣病資料館”. 朝日新聞 2021年10月6日閲覧。
- ^ 写真家・塩田武史さん死去 水俣病患者撮り続け40年 朝日新聞 2014年10月1日