塩谷正義
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時代 | 平安時代末期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 堀江正義 |
官位 | 左衛門尉、下野武者所 |
氏族 | 塩谷氏 |
父母 | 父:塩谷惟頼 |
兄弟 | 正義、朝義 |
塩谷 正義(しおのや まさよし)は、下野国塩谷郡の平安末期の武将。
概要
[編集]源姓塩谷氏(堀江氏)の四代目だが、事績は全く伝わっていない。塩谷氏の系図においても、名前と官途があるだけで、事績については何の記述も無い。いつごろ家督を継いだかは不明だが、文治2年(1186年)までは、父惟頼の代であったことが確認出来るので、これ以降に家督を継いだものと考えられる。しかし、嗣子がなく、間もなく弟の朝義が家督を継いでいる。
喜連川塩谷系譜における正義
[編集]喜連川塩谷系譜においても、正義は惟頼の子であるが、弟である朝義は、正義の嫡男となっており、頼房、義房という2人の弟がいることになっている。また、源頼朝が建久3年(1192年)に征夷大将軍に就任した際、八千町の領地を賜ったとの記述があるが、この時、正義は没しているか、少なくとも隠居して塩谷氏の家督にはなく、これは、事実ではないか、朝義、あるいは塩谷朝業の事績であるものと考えられる。
参考文献
[編集]- 矢板市史