塩野六角古墳
塩野六角古墳 | |
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墳丘 | |
別名 | 塩野六角墳 |
所在地 | 兵庫県姫路市安富町塩野664-3(字岡ノ上)(塩野六角古墳公園内) |
位置 | 北緯34度58分34.00秒 東経134度34分45.30秒 / 北緯34.9761111度 東経134.5792500度座標: 北緯34度58分34.00秒 東経134度34分45.30秒 / 北緯34.9761111度 東経134.5792500度 |
形状 | 六角墳 |
規模 |
一辺4m 対辺長7m |
埋葬施設 | 無袖式横穴式石室 |
出土品 | 須恵器 |
築造時期 | 7世紀後半 |
史跡 | 兵庫県指定史跡「塩野六角古墳 附 塩野古墳」 |
地図 |
塩野六角古墳(しおのろっかくこふん、塩野六角墳)は、兵庫県姫路市安富町塩野にある古墳。形状は六角墳。兵庫県指定史跡に指定されている。
本項目では塩野六角古墳の南東にある塩野古墳(兵庫県指定史跡:附指定)についても解説する。
概要
[編集]兵庫県南部、林田川右岸の丘陵山腹に築造された古墳である。1990-1991年(平成2-3年)に発掘調査が実施されている。
墳形は六角形で、一辺約4メートル(3.8-4.4メートル[1])・対辺長約7メートル(6.8-7 3メートル[1])を測る[2]。墳丘は版築でなく通常の盛土による[1]。墳丘周囲のうち前面には外護列石が巡らされる(背面に列石はないが稜角に石が置かれる)ほか、墳丘背面には幅1.3-1.9メートルの周溝が巡らされる[2][1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、六角形の角の位置において南方向に開口する。石室の規模は、全長4.4メートル・開口部幅1.1メートル・奥壁幅0.8メートル・高さ1.3メートルを測る[2][1]。開口部には扁平な石を置き、奥壁部には角礫5個(棺台と推定)を置く[2][1]。副葬品は極めて少なく、須恵器(長頸壺・坏)のみが検出されており、いずれも棺上に置かれたと見られる[2]。
この塩野六角古墳は、古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[2]。被葬者は明らかでないが、林田川沿いの平野部を治めた人物の墓と推測され、特に『播磨国風土記』・平城宮跡出土木簡から山部氏と想定する説が挙げられている[2]。多角形墳は道教・仏教思想に由来するといわれ、特に古代の天皇陵にも採用された八角墳が多く知られる[2]。それに対して六角墳は本古墳が全国で初めての確認例であり、現在ではほかにマルコ山古墳(奈良県高市郡明日香村)・奥池3号墳(岡山県岡山市)のみで確認されているとする説があるが[2]、真崎1号墳(茨城県東海村)や杉山A号墳(長野県千曲市)も六角墳とされる。
古墳域は1995年(平成7年)に兵庫県指定史跡に指定されている[3]。
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墳丘背面
奥に平野部を望む。 -
石室開口部
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石室内部(奥壁方向)
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石室内部(開口部方向)
塩野古墳
[編集]塩野古墳 | |
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墳丘 | |
所在地 | 兵庫県姫路市安富町塩野(塩野六角古墳公園内) |
位置 | 北緯34度58分31.58秒 東経134度34分47.33秒 / 北緯34.9754389度 東経134.5798139度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径7m |
埋葬施設 | 無袖式横穴式石室 |
史跡 | 兵庫県指定史跡「塩野六角古墳 附 塩野古墳」に包含 |
塩野古墳(しおのこふん)は、塩野六角古墳の南東にある古墳。形状は円墳。兵庫県指定史跡に指定されている(史跡「塩野六角古墳 附 塩野古墳」のうち)。
墳形は円形で、直径7メートルを測る[4]。墳丘北側には周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南方向に開口する[4]。玄室と羨道とでは20-30センチメートルの段差があるほか、玄室には大きい石材、羨道には小さい石材が使用されるという、玄室と羨道の明確な区別が認められる[4][1]。また羨道の基底石の上に玄室の基底石が乗ることから、先に羨道が構築されるという珍しい例になる[4]。
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石室開口部
文化財
[編集]兵庫県指定文化財
[編集]- 史跡
- 塩野六角古墳 附 塩野古墳 - 1995年(平成7年)3月28日指定[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『塩野六角古墳(安富町文化財調査報告2)』安富町教育委員会、1994年。
- 『姫路市史 第1巻 下(本編 考古)』姫路市、2013年。
- 『姫路市史 第7巻 下(資料編 考古)』姫路市、2010年。
関連項目
[編集]- マルコ山古墳 - 六角墳。
外部リンク
[編集]- 塩野六角古墳(附)塩野古墳 - 姫路市ホームページ