増山正興
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増山 正興(ましやま[1] / ますやま[2] まさおき、1891年〈明治24年〉12月12日[1] - 1939年〈昭和14年〉2月21日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・中川、旧名・興功[1]。
経歴
[編集]男爵・中川興長の七男として生まれ、子爵・増山正治の養子となる[1][3]。養父の隠居に伴い、1924年(大正13年)11月15日に子爵を襲爵した[1][3][4]。
1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業[2][3][5]。
1901年(明治34年)侍従職出仕となる[2]。以後、臨時帝室編修局書記、高松宮御用掛兼宮内省御用掛などを務めた[2][3]。
1936年(昭和11年)1月18日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し死去するまで在任した[2][8]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 増山正治 |
子爵 (長島)増山家第3代 1924年 - 1939年 |
次代 増山正信 |