コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

増田貿易

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

増田貿易株式会社(ますだぼうえき)は、かつて神奈川県横浜市中区本町4丁目に存在した貿易会社。

概要

[編集]

1917年大正6年)、設立[1][2][3]。目的は貿易業[1]資本金は100万円(そのうち払込額は50万円)[1]1918年(大正7年)に資本金が300万(払込済)に増資される[4]。同年に増田合名会社より貿易業務を全面的に継承する[4]

増田貿易の輸入品目として砂糖、小麦、織物、麻袋、豆類、雑穀、豆粕、硫酸安母尼亜、亜鉛鉱、薬品、染料、皮革、羊毛、トップ、原綿、木材、ゴム、機械類その他諸商品がある[4]

輸出品目としては精糖、粗糖、小麦粉、菓子、練乳、石油、軽油、豆油、諸油類、豆類、雑穀、澱粉、各種缶詰、絹織物、綿糸布、紙、燐寸、陶器、硝子器、薬品、セメント、鉱石類、木材、硫黄亜鉛、鋼および鋼線、一般雑貨その他諸商品がある[4]

1920年(大正9年)、破綻する[4]。1920年(大正9年)8月末から9月にかけて、2つのおおきな出来事が起こっていた[4]。増田貿易が財界変動貿易不振の結果、8月31日を決済期限とした増田貿易の振出手形(450万円)が不履行になったこと[4]、この神戸支店の振出手形不履行とは別に、増田貿易大連支店が朝鮮銀行によって差し押さえられたことなどである[4]

役員

[編集]
『日本全国諸会社役員録 第25回』
  • 取締役(代表)・中村房次郎[5]、増田増太郎[5]
  • 取締役・増田與一、増田稲三郎、塩川榮治郎、岡部正、柿沼道助[5]
  • 監査役・増田源次郎、増田英次郎、長谷川安太郎、長井永五郎、中村八郎太郎[5]
『日本全国諸会社役員録 第26回』
  • 社長・中村房次郎[6]
  • 副社長・増田増太郎[6]
  • 取締役・増田源次郎、増田與一、増田稲三郎、塩川榮治郎、岡部正、柿沼道助[6]
  • 監査役・増田英次郎、長谷川安太郎、長井永五郎、中村八郎太郎[6]
  • 相談役・増田増蔵[6]
『銀行会社要録 附・役員録 第21版』
『銀行会社要録 附・役員録 第23版』
  • 取締役社長・中村房次郎[2]
  • 副社長・増田増太郎、増田源次郎[2]
  • 取締役・増田與一、塩川榮治郎、岡部正、増田稲三郎、柿沼道助[2]
  • 監査役・増田英次郎、長谷川安太郎、長井永五郎、中村八郎太郎[2]
  • 相談役・増田増蔵[2]
『銀行会社要録 附・役員録 第24版』
  • 取締役社長・中村房次郎[3]
  • 副社長・増田増太郎、増田源次郎[3]
  • 取締役・増田與一、塩川榮治郎、増田稲三郎、柿沼道助[3]
  • 監査役・増田英次郎、長谷川安太郎、長井永五郎、中村八郎太郎[3]
  • 相談役・増田増蔵[3]

支店・出張店

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『銀行会社要録 附・役員録 第21版』神奈川県 会社マ55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『銀行会社要録 附・役員録 第23版』神奈川県 会社マ43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『銀行会社要録 附・役員録 第24版』神奈川県 会社マ28 - 29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 中村房次郎と松尾鉱山43 - 90頁、信夫隆司、岩手県立大学総合政策学部、総合政策3巻1号、2001。2022年11月2日閲覧。
  5. ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第25回』上編644 - 645頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録 第26回』上編513 - 514頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月2日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第26回』商業興信所、1918年。
  • 東京興信所 編『銀行会社要録 附・役員録 第21版』東京興信所、1917 - 1918年。
  • 東京興信所 編『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京興信所、1919年。
  • 東京興信所 編『銀行会社要録 附・役員録 第24版』東京興信所、1920年。