夏目吉次
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夏目 吉次(なつめ よしつぐ、元亀3年(1572年) - 寛永20年6月14日(1643年7月29日))は安土桃山時代から江戸時代の武将、江戸幕府旗本。通称は杢左衛門。夏目吉信の五男。母は松下之綱の娘。子に吉政、吉尚がいる。
初めは加藤清正に仕えており、文禄・慶長の役でも朝鮮に渡海して軍功を挙げた。その後、兄・夏目信次が引き立てられた時、兄弟のことを聞かれて吉次のことを言上したため、召されて徳川秀忠の配下となり、大坂の陣にも参戦した。元和元年(1615年)8月15日、下野国梁田郡において560石の所領を与えられ、大番を務めた[1]。
寛永年間に日光東照宮・小田原城の石垣・江戸城天守等の普請を奉行し、その後西城裏御門番頭・大箪笥奉行を務めた。寛永11年(1634年)に下野国の所領を武蔵国に移された。寛永20年(1643年)6月14日、72歳で死去。法名は乗念。浅草の長敬寺に葬られた[1]。