外丸尚人
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名前 | ||||||
カタカナ | トマル ナオト | |||||
ラテン文字 | TOMARU Naoto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年4月5日(52歳) | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 68kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | FC町田ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1992 | 読売ジュニオール | 23 | (1) | |||
1992-1993 | ヴェルディ川崎 | 0 | (0) | |||
通算 | 23 | (1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
外丸 尚人(とまる なおと、1972年4月5日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。
来歴
[編集]FC町田ユースでは小池大樹と同期。1990年のクラブユース選手権では準優勝を経験した[2]。
1991年に小池と共に日本サッカーリーグ2部の読売ジュニオールに加入[3]。ユース年代まではフォワードを務めていたが、長身を買われてディフェンダーにコンバートされると[1]、同年8月18日に行われたJSLカップ1回戦のトヨタ自動車戦で公式戦デビュー[4]。JSL2部では9月8日に行われた第1節のNTT関東戦でデビューすると、1992年3月28日に行われた第28節のヤンマーディーゼル戦で初得点を決めた[4]。
1992年、読売ジュニオールが日本プロサッカーリーグのヴェルディ川崎のサテライトチームとして再編されたことに伴い、同クラブに加入[5]。V川崎でも引き続きディフェンダーとしてプレーし[1]、1993年10月から1994年2月にかけて行われたアジアクラブ選手権1993-94では2試合に出場したが、リーグ戦出場の機会はなく、1994年シーズンの開幕前に退団した[5]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | 読売Jr | JSL2部 | 23 | 1 | |||||||
1992 | V川崎 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL2部 | 23 | 1 | ||||||||
総通算 | 23 | 1 |
脚注
[編集]- ^ a b c d 「J.League Guide 10チーム全選手写真名鑑」『サッカー・マガジン』 1993年5月22日号別冊付録、ベースボール・マガジン社、20頁。
- ^ 『サッカー・マガジン』 1990年10月号、ベースボール・マガジン社、71-73・218頁頁。
- ^ 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、77・85頁。
- ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、201-215頁。
- ^ a b 『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ〜ヴェルディの40年』東京ヴェルディフットボールクラブ、2010年、238-239・272-275頁頁。