外山光庸
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外山 光庸(とやま みつつね、1874年〈明治7年〉8月1日[1] - 1919年〈大正8年〉4月5日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・豊岡、旧名・庸雄(いさを)[1][3][4]。
経歴
[編集]京都で殿掌・豊岡健資の三男として生まれ[3]、1885年(明治18年)9月に外山光曁の養子となり、養父の死去に伴い同年11月4日[5][注 1]子爵を襲爵した[1][4][6]。その後、光庸と改名[4]。
学習院高等科を修了[2][4]。都会の生活を避け伊豆大島で生活していた[4]。1918年(大正7年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され[7][8]翌年死去するまで在任した[2]。従三位[9]。
家族・親族
[編集]- 母 家女房(川嵜重徳女)[3]
- 養子 外山英資(1907年11月生、実弟・豊岡圭資の二男)[1]外山家と子爵位を継いだ。妻は田中長一郎の二女・なほ子(1915年1月生)。
- 庶子 道子(1916年11月生)光庸と下村マツとの間に生まれ、学習院女子部を出たのち京都の呉服商・八木清一(1905年5月生)[注 2]に嫁いだ。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『豊岡家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第12版下』人事興信所、1940年。doi:10.11501/3430446。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 外山光曁 |
子爵 外山家第2代 1885年 - 1919年 |
次代 外山英資 |