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外狩素心庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

外狩 素心庵(とがり そしんあん、1893年6月25日 - 1944年4月22日)は、日本美術評論家中外商業新報社学芸部長、参事を歴任。本名は外狩 顕章。愛知県安国寺第15代住職

来歴

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明治26年、愛知県生まれ。曹洞宗大学(駒澤大学の前身)、1913年(大正2年)二松学舎卒業。同年、中外商業新報社入社。美術記者となる。1924年学芸部長、1928年(昭和3年)参事を歴任。1943年嘱託。その評論批判は斯界の注目を惹き、古美術に造詣が深く、美術骨董界に貢献した[1]書道南画文人画)をよくし、また漢詩俳句にも親しんだ。

1930年、中川紀元らにより設立された「六潮会」に参加。洋画から牧野虎雄木村荘八中川紀元、日本画から中村岳陵山口蓬春平八郎、評論家の横川殻一郎が加わる[2]。六潮会の母体は、1928年に外狩の呼びかけでできた画事放談の「蛙声会(あせいかい)」(木村、中川、横川、外狩の4人)である。昭和19年、急性肺炎のため逝去[3][4]

著書に「竹田」「竜門二十品」「観音五十首・蝸牛一百句」「龍門二十品」、編著に「観音五十首」「崋山先生百年展若干記」「童品二十品」「続相軒庵美術集成図録」などがある[5][6]

著書

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出典

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  1. ^ 東京文化財研究所. “外狩素心庵”. 2020年6月6日閲覧。
  2. ^ 太平山 安国寺. “外狩素心庵”. 2020年6月6日閲覧。
  3. ^ kotobank.jp. “「外狩素心庵」日本人名大辞典”. 2020年6月6日閲覧。
  4. ^ kotobank.jp. “「外狩素心庵」20世紀日本人名事典”. 2020年6月6日閲覧。
  5. ^ Webcat Plus. “外狩素心庵”. 2020年6月6日閲覧。
  6. ^ 徳富蘇峰記念館. “外狩素心庵”. 2020年6月6日閲覧。

 

外部リンク

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