多喜浜村
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たきはまむら 多喜浜村 | |
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廃止日 | 1953年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 新居浜市、垣生村、大島村、多喜浜村、神郷村 → 新居浜市 |
現在の自治体 | 新居浜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 新居郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,251人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 新居郡垣生村、神郷村、船木村、宇摩郡天満村、関川村 |
多喜浜村役場 | |
所在地 | 愛媛県新居郡多喜浜村大字多喜浜 |
座標 | 北緯33度58分30秒 東経133度21分02秒 / 北緯33.97492度 東経133.35067度座標: 北緯33度58分30秒 東経133度21分02秒 / 北緯33.97492度 東経133.35067度 |
ウィキプロジェクト |
多喜浜村(たきはまむら)は、愛媛県新居郡にあった村。現在の新居浜市の北東端にあたる。
地理
[編集]- 海洋 : 燧灘
- 岬 : 唐猫鼻
- 河川 : 阿島川、荷内川
歴史
[編集]地名の由来
[編集]次の二説がある。
- 新居浜市史によると「享保8年の大飢饉に際し西条藩は難民救済のため元締天野喜四郎をして享保18年(1733年)塩田開発に着手せしめ、領内難民を就業させて救済米を支給し汐留に成功したので多喜浜と命名」したことから、多くの難民が喜んで働いた浜という意味から多喜浜としたのではないかという説。
- 新居郡誌に「二代城主[1]松平頼渡は普請奉行の多良尾介之丞と天野喜四郎の二人の名より一一浜分も含め、ここに多喜浜と命名したのは享保18年のことであった・・・」とあるので、普請奉行二人の名より「多」と「喜」をとり多喜浜とした説。
多良尾介之丞は多喜浜塩田史に見当たらないのでどちらが正しいかはわからない[2]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]村域を日本国有鉄道の予讃本線(現・予讃線)が通過したが、駅は所在しなかった。多喜浜駅は隣接する神郷村に所在。
出身著名人
[編集]- 加藤正恵(貴族院多額納税者議員)
脚注
[編集]- ^ 引用出典のとおり。
- ^ 『地名の由来 新居浜』(32頁 旧多喜浜村) (PDF) - 新居浜市教育委員会
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 38 愛媛県