多忠亮
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多 忠亮(おおの ただすけ、1895年(明治28年)5月3日 - 1929年(昭和4年)12月3日)は、大正期のヴァイオリン奏者・作曲家。
東京生まれ。旧制芝中学校(第8回生)を卒業し、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)入学。宮内省式部職楽部所属の雅楽の家柄出身ではあるが、洋楽に専心してヴァイオリンを専攻する。竹久夢二の「宵待草」の詩に感動し、これに曲を付けて1918年(大正7年)にセノオ楽譜より出版した。
家系
[編集]多家(おお)は、神武天皇の子・神八井耳命に始まり、『古事記』を編纂した太安万侶(多安万呂:おおの やすまろ)の子孫の家系とされ、先祖には平安期に伝統神楽の形式を定めた多自然麿を擁しており、代々皇室に仕える楽人家として多くの雅楽家を輩出した。