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多 忠宗(おおの ただむね、1506年(永正8年) - 1588年7月28日(天正16年6月5日))は、室町時代後期(戦国時代)から安土桃山時代の雅楽家[1]。父は多忠時。
京都の生まれ[1]。応仁の乱の鎮圧後、散逸しかけた神楽歌の諸家の伝承を比較や整理を行い[1]、神楽の存続に貢献した[1]。東儀鉄笛『楽道偉人伝』には、応仁の乱に楽道が廃退し、多氏の古譜も兵火に焼かれてしまったとある。神楽の秘訣は口伝であるため、忠宗はその伝を受け、秘蔵されている物を選び音節を明らかにし、子孫に伝えた。神楽が後世にあるのは忠宗の力が最も大きいとされる。