多摩美術短期大学
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多摩美術短期大学 | |
---|---|
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1935年 |
廃止 | 1955年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人多摩美術短期大学 |
本部所在地 | 東京都世田谷区玉川上野毛町33[1] |
キャンパス |
第一校舎(東京都世田谷区) 第二校舎(神奈川県川崎市[注釈 1]) |
学部 |
絵画科 造形図案科 彫刻科 |
多摩美術短期大学(たまびじゅつたんきだいがく、英語: Tama Art Junior College[2])は、東京都世田谷区玉川上野毛町33[1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1955年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 東京都世田谷区に所在した[3]日本の私立短期大学[4]で、設置主体は学校法人多摩美術短期大学。
- 短期大学制度が発足した1950年に、3学科[5]かつ入学総定員100名[6]にて設置された、いずれも修業年限3年制となっていた[7][注 1]。キャンパスは、本部である東京都世田谷区のほか、神奈川県川崎市にも置かれていた[9][8]。
- 1952年度の入学生を最後に短期大学から1953年に 多摩美術大学(学長:井上忻治)を設置。
沿革
[編集]- 1935年 多摩帝国美術学校を現在の東京都世田谷区上野毛に創設する。[10] 今井兼次教授設計の校舎が完成する。[11][12][13][14][15][16]『武蔵野美術大学は1929年に創立。武蔵野美術大学の前身である「帝国美術学校」から多摩美術大学が独立した』と記述されているのは正しくない。[17]
- 1947年 専門学校令による専門学校に昇格、多摩造形芸術専門学校と改称
- 1949年10月 文部省[注釈 2]に短期大学の設置認可に関する申請を行う[18][19]。内容は以下の通り[注 2][20][21][22]。
- 1950年
- 1952年 左記年度をもって学生募集を終了とする[注 3]。
- 1955年
基礎データ
[編集]所在地
[編集]年度別学生数
[編集]通学課程
[編集]- | 絵画科 | 造形図案科 | 彫刻科 | 出典 |
---|---|---|---|---|
入学定員 | 50[30] | 40[30] | 10[30] | - |
総定員 | 150 | 120 | 30 | - |
1954年 | 男44 女6 |
男26 女6 |
男2 女0 |
[31] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]- 絵画科 50名
- 造形図案科 40名
- 彫刻科 10名
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]補足
[編集]出典
[編集]- ^ a b 住居表示変更により、現在は上野毛3-15-34となっている。
- ^ History of Tama Art University(英語)より。2014年9月9日閲覧。
- ^ 東京航空写真地図 第3集[本編]より。
- ^ 東京都便覧より。
- ^ 日本教育年鑑 1952年版より。
- ^ 文部省d, p. 5.
- ^ 官報 1950年09月14日より。
- ^ a b c d e 日本私立大學協會, 日本私立短期大學協會共編, p. 220.
- ^ 日本美術年鑑 昭和22-26年版より。
- ^ http://www.tamabi.ac.jp/prof/history/
- ^ https://www.tamabi.ac.jp/prof/history/
- ^ http://www.shiro1000.jp/tau-history/imai/imai.html
- ^ https://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/050722.htm
- ^ https://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/070912.htm
- ^ https://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/091202.htm
- ^ https://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/120915.htm
- ^ “一般に『武蔵野美術大学は1929年に創立。武蔵野美術大学の前身である「帝国美術学校」から多摩美術大学が独立した』と記述されているのは、正しくありません。(略)太平洋戦争が勃発すると、帝国美術学校」は、大東亞工学院」となり、「帝国美術学校」は閉校した。その後、終戦に伴い「大東亞工学院」は消滅し、校舎は法政中学に売却された。(略)1953年に「多摩美術大学」が上野毛に創立され、その9年後の1962年に「武蔵野美術大学」が吉祥寺に創立された。 従って「武蔵野美術大学」は、「帝国美術学校」の名称も校地も継承していない。”. www.shiro1000.jp. 2023年8月18日閲覧。
- ^ 文部省a, p. 43.
- ^ 文部省b, p. 2.
- ^ 全国学校名鑑 昭和25年版より。
- ^ 日本教育年鑑より。
- ^ 旺文社1950-01, p. 87.
- ^ 文部省c, p. 3.
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 文部省d, p. 8.
- ^ 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。
- ^ 東京学校案内 大学編 昭和30年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和31年度 (短期大学資料)より。
- ^ a b c 全国学校名鑑 昭和29年版より。
- ^ 文部省'54, p. 1376.
参考文献
[編集]- 文部省『申請大学、短期大学等一覧 短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 文部省『短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 文部省『短期大学審査状況-認可分-』(PDF)文部省 。
- 文部省管理局管理課『昭和25年5月1日現在 短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
- 旺文社『蛍雪時代 19(10);昭和25年1月號』旺文社 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
- 日本私立大學協會, 日本私立短期大學協會『全國私立大學・短期大學入学案内』日本私立大學協會, 日本私立短期大學協會共編 。