多田吉左衛門
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多田 吉左衛門(ただ きちざえもん、寛永3年(1626年)[1] - 宝永6年5月16日(1709年6月23日)[1])は、江戸時代前期の土佐の捕鯨家。土佐網取捕鯨の始祖。名は清平[1]。
経歴・人物
[編集]土佐国安芸郡津呂浦(現・高知県室戸市室戸岬町)の庄屋・2代多田五郎右衛門の長男として生まれる[1][2]。庄屋職は末弟が継いだ[1]。寛文4年(1664年)土佐藩の鯨方肝煎となり、3人扶持、9石を食む[1]。
天和2年(1682年)紀州熊野灘へ出張し、同地の捕鯨家・太地角右衛門に網取捕鯨を学び、漁民70人を連れ帰郷する[1]。阿波の山内荘九郎に借財し、東は室戸・西は窪津を拠点とし捕鯨を営んだ[1]。その後、吉左衛門の津呂組は奥宮氏が継いだ[1]。墓所は室戸市津呂耳崎の古城山東麓[1]。
親族
[編集]- 祖父:初代多田五郎右衛門(捕鯨家、突捕鯨の始祖)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。