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多田吉左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

多田 吉左衛門(ただ きちざえもん、寛永3年(1626年[1] - 宝永6年5月16日1709年6月23日[1])は、江戸時代前期の土佐捕鯨家。土佐網取捕鯨の始祖。名は清平[1]

経歴・人物

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土佐国安芸郡津呂浦(現・高知県室戸市室戸岬町)の庄屋・2代多田五郎右衛門の長男として生まれる[1][2]。庄屋職は末弟が継いだ[1]寛文4年(1664年土佐藩の鯨方肝煎となり、3人扶持、9石を食む[1]

天和2年(1682年紀州熊野灘へ出張し、同地の捕鯨家・太地角右衛門に網取捕鯨を学び、漁民70人を連れ帰郷する[1]阿波山内荘九郎に借財し、東は室戸・西は窪津を拠点とし捕鯨を営んだ[1]。その後、吉左衛門の津呂組は奥宮氏が継いだ[1]。墓所は室戸市津呂耳崎の古城山東麓[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 高知新聞社 1999, 458頁.
  2. ^ 上田 2001, 1157頁.

参考文献

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  • 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496