コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

プーと大プー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大プーから転送)

プーと大プー(プーとだいプー)は、チベット語で「プー・タン・プーチェンボ(བོད་དང་བོད་ཆེན་པོ、bod dang bod chen po)」と言い、チベット全域に対する地理的な区分方法の一つ。チベットの古典文献においてチベットの地域的な区分の様々なバリエーションが列挙・提示される場合に、その一種として登場する。

インド人がチベットを呼ぶ際、インドに近い部分を「ボータ(Bhota)」と、インドから遠い部分を「マハー・ボータ(大ボータ, Mahabhota)」と、それぞれ読んだ区分法に対応した表現であり、チベット人の間では、「インドの学者による用法」として認識されている[1]

歴史的な資料における記述

[編集]

チョネ版チベット大蔵経の開版縁起の記述

[編集]

アムド東部(甘粛省ケンロ州)の チョネの領主が チベット大蔵経を開版した際に執筆させた開版縁起(1773年成立)の中には、「プーと大プー」をはじめ、チベット全域を示す表現が各種列挙されている[2]

(前略)このように、雪ある国 (kha ba can gyi yul) の中心に」と説かれているような、無数の福徳のある国 (yon tan mtha' yas pa dang ldan zhing) 、無数の仏と菩薩が加持した土地 (sangs rgyas dang byang chub sems dba' grangs med pas byin gyis brlabs pa'i gnas) 、涼しき国 (bsil ldan gyi ljongsl) 、もしくは『無垢光明天女授記経』に赤き顔の人の国 (gsong ddmar can gyi yul) と説かれているこの国において、三チョルカとかプーと大プーと呼ばれているうちの、馬のチョルカ・ドメー大プーであるこの土地は、チベット中にありふれている類書に「西方の池のごときガリ三域と、中央の水路のごときウーツァン四翼と、東方の耕地のごときカム六高地」などと説かれている中の後者であり、(後略)
(前略)de ltar kha ba can gyi yul dbus su// zhes bshad pa ltar gyi yon tan mtha' yas pa dang ldan zhing/ sangs rgyas dang byang chub sems dpa' grangs med pas byin gyis brlabs pa'i gnas/ bsil ldan gyi ljongs sam/ lha mo drima med pa'i 'od lung bstan pa'i mdo las/ gdong dmar can gyi yul du gsungs pa 'di nyid la chol kha gsum dang/ bod dang bod chen po zhes grags pa las/ mdo smad rta'i chol kha/ bod chen po'i yul ljongs 'di ni bod spyi'i 'dra dpe stod du mnga' ris skor gsum rdzing lta bu dang/ bar du dbus gtsang ru bzhi yur ba lta bu dang/ smad du mdo khams sgang drug zhing lta bu'i tshul du bshad pa'i phyi ma ying zhing/

『パクサムジョンサン』の記述

[編集]

第三章チベットの章(le'u gsum pa/ bod kyi skabs)には次のような一節がある[3]

  • bod la bod chung bod chen gnyis yod pa'i nang gi bod chung dbus gtsang phyogs su 'gro ba thog mar byung tshul la ......
    • (翻訳1)プーに小プー、大プーのふたつがあるうち、小プーのウーツァン地方に衆生がはじめて生じた有様は(後略)
    • (翻訳2)チベットに「小チベット」、「大チベット」のふたつがあるうち、「小チベット」のウーツァン地方に衆生がはじめて生じた有様は(後略)

他の呼称との相違

[編集]

「チベット三州」等との相違

[編集]

「大チベット(大チベット区)」と「大プー」との相違

[編集]
  • チベット古典の用法における「大プー」は、アムドやカムから成るチベット東部のみをさし、中央チベットを含まない。
  • 一方、現代における「大チベット」や「大チベット区」は、使用する立場により、「大プー」と同義で使用されることもあれば、中央チベットとチベット東部とを併せた地域を指して使用されることもある。
  • その意味で「大プー」は、「大チベット」や「大チベット区」とは、必ずしも一致しない。

関連項目

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 2009年8月27日にニューデリーで開催された円卓会議における「大チベット(Greater Tibet)」に関する内閣主席大臣サムドン・リンポチェ教授の基調演説の内、「大チベット(Greater Tibet)」という用語の定義および用法を参照。
  2. ^ kun mkhyen 'jigs med dbang po (smon lam rgya mtshos zhus dag byas), co ne'i bstan 'gyur dkar chag, ken su'u mi rigs dpe skrun khang(久美旺布著(毛蘭木嘉措校訂)『卓尼丹珠目録』(甘粛民族出版社,1986, ISBN 7-5421-0029-7) p.352-353
  3. ^ sum pa ye shes dpal 'byor, chos 'byung dpag msam ljon bzang, ken su'u mi rig dpe skurn khang, 1992(松巴堪欽『松巴佛教史』甘民族出版社, ISBN 7-5421-0085-8) p.286