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大久保利敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大久保 利敬
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 享和元年4月20日1801年6月1日
別名 通称:正左衛門
墓所 大阪市福島の妙徳寺
幕府 江戸幕府
薩摩藩
氏族 藤原氏
父母 父:大久保利政大久保利辰とも)
利建治良介(名は利貞とも)、利世、女
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大久保 利敬(おおくぼ としたか)は、江戸時代中期の薩摩藩鹿児島城。大久保家6代目当主。家格は小姓与。大久保利通の祖父。

略歴

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勝田孫弥『大久保利通伝 上』では大久保家6代当主の大久保利政の実子として誕生し、大阪で客死したという(「大久保利通文書」第10巻所収の大久保家系図では父の名前を「利辰」とする)。菩提寺は大阪福島の妙徳寺[1]

なお、父の利政は江戸で死去し、長男の利建は大島代官付役に就任中に奄美大島で死去しており、大久保家は3代にわたり鹿児島城下に戻ることなく死去することになる。

孫には利通(三男、利世の子)の他、大久保利貞(次男、治良介の子。陸軍中将、霧島神宮宮司)がいる。 玄孫は政治家の迫水久常(次男、治良介の曾孫)。

脚注

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  1. ^ なお、同寺には享和2年死去の山本権兵衛の祖父山本七郎盛賢も埋葬されている。

参考文献

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