大久保忠次
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永禄12年8月25日(1569年10月15日) |
別名 | 左衛門次郎 |
戒名 | 常然 |
墓所 | 妙国寺(愛知県岡崎市) |
主君 | 松平清康、広忠、徳川家康 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 | 宇津忠茂 |
兄弟 | 忠平、忠俊、忠次、忠員、忠久、忠行、加藤景成室、杉浦政次室 |
妻 | 大原正継の娘 |
子 | 忠重、阿倍忠政、与市郎、忠成、昌長、荒川氏室、忠栄、忠休、勘助 |
大久保 忠次(おおくぼ ただつぐ)は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。
生涯
[編集]三河松平氏の家臣。天文6年(1537年)松平広忠が伊勢へと追われた時、兄忠俊らと共に広忠の岡崎城帰還に尽力した。天文9年(1540年)渡の合戦、天文11年(1542年)小豆坂の戦いで活躍。天文18年(1549年)第三次安城合戦では捕虜とした織田信広を尾張へと送還する役目を忠俊と共に担った。永禄3年(1560年)刈谷城の合戦で戦功。永禄6年(1563年)三河一向一揆鎮圧にも一族とともに活躍した。
出典
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第706