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大久保忠知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大久保 忠知(おおくぼ ただとも、文禄2年(1593年) - 寛永21年11月24日1644年12月13日))は、江戸時代前期の旗本大久保忠為の三男。通称、源三郎、源左衛門。左馬充。兄弟に大久保長安室(長女)、大久保忠舊(四男、ただふる、忠旧とも書く)。室は稲垣長茂の娘。

徳川秀忠に仕え、慶長19年(1614年大久保忠隣に連座して蟄居したが赦され、大坂夏の陣で先陣をつとめた。その後、2000石の旗本として、使番、小姓番頭、書院番頭をつとめる。子の大久保忠高は1万石を領するまでに栄進し、大久保常春は大名となり、下野国烏山藩となった。子女は他に牧野忠清室。