大久保教近
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大久保教近(おおくぼ のりちか、寛保元年(1741年) - 寛政12年閏4月29日(1800年6月21日)[1])は、江戸時代中期の旗本。荻野山中藩の分家で3000石を領した。通称は式部。官職は遠江守。父は大久保教平。室は松浦到の娘。子は大久保教翅(長男、大久保教倫の養子、荻野山中藩主)、江七兵衛教富(次男)、女(伊奈忠盈室)。
天明8年(1788年)9月28日、甲府勤番支配となる。子孫は、教富、教文、教徳、教愛と続いて、明治維新に至る。
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