大井行俊
表示
時代 | 室町時代 - 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 応永34年(1427年) |
死没 | 永正2年11月12日(1505年12月7日) |
別名 | 又次郎、次郎右衛門、弾正忠 |
戒名 | 桃源院洞光覚仙 |
墓所 | 桃源院 |
氏族 | 小笠原氏流大井氏 |
父母 | 父:大井行春、母:浅沼氏の娘 |
兄弟 | 行康(早世)、女子(大井時光室)、行俊、行房 |
妻 | 大井持光の娘 |
子 | 行満、女子(依田源四郎室)、行朝 |
大井 行俊(おおい ゆきとし)は、室町時代-戦国時代の武将、信濃国佐久郡、長土呂大井氏、岩尾大井氏祖。大井行春の嫡子。
生涯
[編集]応永34年(1427年)、長土呂館に生まれる。応仁元年(1467年)、室町幕府管領細川勝元と山名宗全が争い(応仁の乱)、行俊は細川氏方に応じる。文明5年(1473年)、小笠原長朝に属し、京都に赴き山名氏方と戦う。
文明9年(1477年)、8代将軍足利義政が令を発し佐久に帰った。文明10年(1478年)、岩尾城を築城し長土呂より移る。以後大井行吉まで5代に亘って居住することとなる。
参考文献
[編集]- 大井敏夫『岩尾家譜(現代語訳)』1996年
- 『佐久市志 歴史編(二)中世』1993年
- 日本城郭大系 第8巻 長野・山梨