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大井行俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大井行俊
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 応永34年(1427年
死没 永正2年11月12日1505年12月7日
別名 又次郎、次郎右衛門、弾正忠
戒名 桃源院洞光覚仙
墓所 桃源院
氏族 小笠原氏大井氏
父母 父:大井行春、母:浅沼氏の娘
兄弟 行康(早世)、女子(大井時光室)、行俊、行房
大井持光の娘
行満、女子(依田源四郎室)、行朝
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大井 行俊(おおい ゆきとし)は、室町時代-戦国時代の武将、信濃国佐久郡、長土呂大井氏、岩尾大井氏祖。大井行春の嫡子。

生涯

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応永34年(1427年)、長土呂館に生まれる。応仁元年(1467年)、室町幕府管領細川勝元山名宗全が争い(応仁の乱)、行俊は細川氏方に応じる。文明5年(1473年)、小笠原長朝に属し、京都に赴き山名氏方と戦う。

文明9年(1477年)、8代将軍足利義政が令を発し佐久に帰った。文明10年(1478年)、岩尾城を築城し長土呂より移る。以後大井行吉まで5代に亘って居住することとなる。

永正2年(1505年)11月12日、岩尾城に卒す。79歳。

参考文献

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  • 大井敏夫『岩尾家譜(現代語訳)』1996年
  • 『佐久市志 歴史編(二)中世』1993年
  • 日本城郭大系 第8巻 長野・山梨

外部リンク

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