大伴部金麻呂
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大伴部 金麻呂(おおともべ の かねまろ)は、8世紀の日本の陸奥国にいた人物である。多賀城跡から出土した木簡によってのみ知られる。
解説
[編集]名が記された木簡 (第290号木簡) は、多賀城の政庁と外郭南門を結ぶ道路の下に、東西方向に続いていた石組みの排水溝(SD1413溝A)を作るときに使われた土の中から見つかった[1]。溝が作られたのは8世紀前半という[2]。
木簡には、□を判読しがたい字にあてて「長大□□金麻呂」とあり、これが大伴部とも読める状態で見つかった[3]。大伴部は大伴氏に従った部民として東国ではよくある姓(カバネ)で、多賀城出土の木簡にも多い。金麻呂がどんな役職の「長」だったかは不明だが、同じ場所から出た木簡から、木材の納入にかかわる責任者だったのではないかと推測される[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。
- 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II・図版編(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。