大分県立久住高原農業高等学校
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大分県立久住高原農業高等学校 | |
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北緯33度3分15.93秒 東経131度19分28.988秒 / 北緯33.0544250度 東経131.32471889度座標: 北緯33度3分15.93秒 東経131度19分28.988秒 / 北緯33.0544250度 東経131.32471889度 | |
過去の名称 |
大分県立竹田高等学校久住分校 大分県立三重農業高等学校久住分校 大分県立三重総合高等学校久住分校 大分県立三重総合高等学校久住校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
学区 |
全県学区 全国募集(30%)枠あり |
併合学校 |
大分県立竹田高等学校直入校舎 大分県立竹田高等学校都野校舎 |
校訓 | 高爽 創生 躍進[1] |
設立年月日 | 1948年[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 農業科 |
学校コード | D144210000415 |
高校コード | 44160A |
所在地 | 〒878-0204 |
大分県竹田市久住町大字栢木5801番地-32[2] | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立久住高原農業高等学校(おおいたけんりつ くじゅうこうげんのうぎょうこうとうがっこう)は、大分県竹田市久住町大字栢木にある県立農業高等学校。スクールテーマは「小さな学校の大きな希望」である[3]。
概要
[編集]大分県立竹田高等学校の分校の昼間定時制高校として、旧直入町に直入校舎、旧久住町に都野校舎がそれぞれ設立されたのが、後に都野校舎に統合され大分県立竹田高等学校久住分校と改称した。その経緯から久住校前にあるバス停の名称は「都野高校前」である[2]。
その後、大分県立三重農業高等学校に所属が変更されて、大分県立三重農業高等学校久住分校となり、さらに大分県立三重農業高等学校が統合されて新設された大分県立三重総合高等学校の久住分校を経て、三重総合高等学校久住校に改称した。
2019年4月には、三重総合高等学校から独立し、単独校の大分県立久住高原農業高等学校として新たに開校した[4][5]。
分校を独立した高校にすることは住民の悲願で、20年近くにわたる大分県への要望が認められた。前身の高校は1学年20人に達しない定員割れが続いていたが、2020年度入学から募集を全国に拡大した。竹田市は合併特例債を利用して寮を建設し、地元農家も実地教育で支援する態勢をとっている[6]。
校歌はDRUM TAOの作詞・作曲による[7]。なお、久住校時代までの校歌は、本校と同じ小椋佳作詞・作曲による『美しくあれ、若みどり』であったが、歌詞の一部が本校と異なっていた。
設置学科
[編集]沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)7月 - 大分県立竹田高等学校都野校舎、大分県立竹田高等学校直入校舎開校。
- 1961年(昭和36年)4月 - 統合により大分県立竹田高等学校久住分校となる。
- 1970年(昭和45年)4月 - 大分県立三重農業高等学校久住分校となる。
- 2006年(平成18年)4月 - 大分県立三重総合高等学校久住分校を併設。
- 2008年(平成20年)4月 - 大分県立三重総合高等学校久住校となる。
- 2019年(平成31年)4月 - 独立して大分県立久住高原農業高等学校となる。
部活動
[編集]脚注
[編集]- ^ “大分県久住高原農業高校 制服や校章決まる!”. 大分県立久住高原農業高等学校 (2018年12月12日). 2019年4月12日閲覧。
- ^ a b c 概要説明 (PDF) 大分県立三重総合高等学校久住校
- ^ a b 説明資料 (PDF) 大分県立三重総合高等学校久住校
- ^ “三重総合高校分校 単独校化 新校名は「久住高原農業高校」/大分”. 『毎日新聞』. (2018年8月23日). オリジナルの2019年1月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “農業高生、地域の核に 「久住高原農高」来春、単独校で開校 3割、県外から募集 大分県”. 『西日本新聞』. (2018年10月20日). オリジナルの2018年12月31日時点におけるアーカイブ。
- ^ 【にぎわい育む農山村】(1)大分「久住高原農高」が誕生 地域密着で再出発 分校から単独校に『日本農業新聞』2020年1月7日(14面)2020年1月14日閲覧
- ^ “TAO 提供の校歌を初演奏 竹田市に今春開校・久住高原農業高 大分県”. 『西日本新聞』. (2019年4月2日)