大原佐予子
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大原 佐予子(おおはら さよこ、1966年12月13日 - )はファッションブランド「燐 Rin」のデザイナー。
略歴
[編集]- 1987年 3月 九州造形短期大学卒業
- 1997年 4月 (有)戀塚弘設計事務所入社。以後 二級建築士免許習得、住宅建築設計デザインにかかわる。
- 1990年 7月 CUTiE(宝島社)インディーズコンテスト グランプリ受賞。
- 1995年 9月 「貝殻の標本~死装束の展覧会」(東京 文芸坐ル・ピリエ)企画デザイン。
- 1997年 9月 演劇「アミナダブ」(劇団阿彌/脚本 岡村洋次郎 - ウェイバックマシン(2007年9月4日アーカイブ分)/演出 観世栄夫)において衣装制作。
- 1998年 1月 演劇「夏休み」(扇町ミュージアムスクエアプロデュース/脚本 内藤裕敏/演出 いのうえひでのり)において衣装制作。
- 1999年 6月 「ファッションコラボレート・BIRTH」(福岡西鉄ホールプロデュース)帽子デザイナー、田中重子氏とのコラボレート・ファッションショーに洋服パタンナーとして参加。
- 1999年 6月 ファッションブランド「燐~Rin」創設。(有)戀塚弘設計事務所退社。
- 1999年10月 セバウンファミリーパリ プロデュース「TO KNOW」(福岡リバレイン)に参加。クリストファー・ネメスと共演。
- 1999年10月 「FASHION LIVE99」(新宿CLUB CORD)メイクサロン アトリエレザンとのコラボレートショー参加。
- 1999年12月 貝殻の標本がNHKドキュメントにっぽんにおいて「旅立ちはドレスで」というドキュメンタリー番組となり、多大な反響を得る。
- 2000年 4月 「ファッションコネクション シンガポール―アジアンコレクション」(シンガポール チャイム教会)に参加。
- 2000年12月 「燐」初のアトリエショップを開催。以後季節ごとにギャラリーにて発表を継続。
- 2002年 9月 東京で燐ショップスタート。以後年2回の発表を継続。
- 2002年10月 熊本市現代美術館 オープンにあたり開催された「ATITUDE2002」にて「貝殻の標本」を展示。
- 2006年 8月 ロサンゼルスのセレクトショップ「Jeannie Y」にて、燐を展開。
- 2007年 8月 ロサンゼルス「Jeannie Y」主催。トランクショー参加。
- 2008年 7月 京都で燐ショップスタート。
出典
[編集]- 『ドキュメントにっぽん 旅立ちはドレスで』日本放送協会、1999年12月10日 。[1]
- 椿ラボ[2]
- Enhanced-Endorphin.jp[3]
- 泯比沙子ファンサイト
- MANSION official website
- 美的.com[4]
脚注
[編集]- ^ 福岡市に住む大原ゆう子さん(56)は、人生の最後にまとう衣装“死に装束”のデザイナー。大原さんのドレスと出会った人々が、今までの自分の人生を見つめ直し、残された人生を前向きに歩んでいく姿を描く。
- ^ 燐-RIN-のデザイナー、大原佐予子さん。 舞台衣装を手掛けたり、さまざまなクリエイターとのコラボレートを発表されたり、建築事務所に勤務されていたという異色の経歴をお持ちです。
- ^ 1995年に「貝殻の標本」という企画をやりました。それは「死装束の展覧会」をやろうという企画で、死装束のデザイナーに、ミュージシャンが音楽を創り、弊社が映像を提供して、ホールでイベントを催しました。それが結構評判となり、TV番組の「トゥナイト」に出演したり、NHKの「ドキュメントにっぽん」の中で「旅立ちのドレス」というドキュメンタリー番組も制作されました。また熊本の現代美術館でも展示され、何度も再演しているうちに、1999年福岡の西鉄ホールの杮落しとしてファションショーやりませんか?というオファーを頂きました。そこではさすがに「死装束」のファションショーを行うわけにはいかないので、「BIRTH」という洋服のファションショーをしましょうと提案し、そこで「燐」のブランドを立ち上げました。
- ^ 西の国から美的通信#17 半年に一度のお楽しみ!福岡×東京発・「燐」の展示即売会!