大原宿奈麻呂
表示
時代 | 奈良時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 少麻呂、少万呂 |
官位 | 従五位下伯耆守 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 大原真人 |
大原 宿奈麻呂(おおはら の すくなまろ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・貴族。名は少麻呂・少万呂とも記される。官位は従五位下・伯耆守。
経歴
[編集]天平11年(739年)高安王らが大原真人姓を与えられ臣籍降下した際、兄の今城とともに宿奈麻呂も臣籍降下したと想定される。
淳仁朝にて筑後介を経て、天平宝字8年(764年)正月に従五位下に叙爵し、左虎賁翼に任官する。しかし、同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱に連座したらしく官位を剥奪される。
光仁朝の宝亀5年(774年)罪を赦されて本位(従五位下)に復し、宝亀7年(776年)伯耆守に任じられている。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。
- 天平11年(739年) 4月3日:臣籍降下(大原真人姓)
- 天平宝字2年(758年) 8月:見筑後介[1]
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字8年(764年) 正月7日:従五位下。正月21日:左虎賁翼。9月:官位剥奪か(藤原仲麻呂の乱連座)?
- 宝亀5年(774年) 5月5日:復本位(従五位下)
- 宝亀7年(776年) 3月6日:伯耆守
脚注
[編集]- ^ 「官人歴名」『大日本古文書』15巻132頁